GW特別企画 郷土の偉人を訪ねて その1 井上篤太郎
人と同じようにまちにはそれぞれの歩みがある。イベントなどを通して文化や風土を知ることはもちろんだが、郷土の歴史を知ることは魅力に触れる一歩かもしれない。特別企画は文化財を通して井上篤太郎を紹介する。
井上篤太郎は1859年、現在の厚木市三田に生まれた。村議会や県議会議員を経て、衆議院議員となるなど政治家として活躍したばかりでなく、玉川電鉄や京王電気軌道(現京王電鉄)の経営でもその手腕を発揮。退職後は慰労金の多くを郷土の社会事業に投じた。よく知られているのが、三田小学校の校舎新築と才戸橋の架橋だろう。
三田小学校は1973年に現在地に移転したが、移転前の校舎建設資金を提供している。同小学校の跡地にある睦合北公民館(厚木市三田)の入口には5メートルにも及ぶ壽碑が建っている。建物入口には碑文解説があり、その一節からも住民たちの感謝の気持ちをうかがい知ることができる。「翁と最も縁深き三田小学校の一角を相(よう)して壽碑(じゅひ)を建立し聊(いささ)か翁の鴻恩(こおおん)に酬(むく)い併(あわ)せて其の偉徳(いとく)を頌(しょう)して永遠に之を記念せんとす」。
愛川町方面と厚木市をつなぐ才戸橋。大山道の1つでもあることから人やモノが多く通った交通の要所だった。かつては船で渡っていたが、井上篤太郎の寄付によりコンクリートの橋が架けられた。現在の橋は老朽化を受けて1986年に作り替えられたものだ。橋のたもとにある松羅公園には「元貴族院議員 井上篤太郎先生生誕之地」と記された石碑と旧才戸橋の欄干が残る。
厚木市教育研究所が発行した「あつぎ子ども風土記」によると、地区名である「睦合」にも井上篤太郎の郷土への想いが込められていることが分かる。町村制後、「三田村外五ヶ村組合村」だった名称は「みんなが仲よく助け合っていくように(むつみあう)」と、1946年に井上篤太郎が「睦合村」と名付けたとある。
半世紀以上に渡り郷土の歴史研究を行う「県央史談会」の内藤佳康会長は「いきなり文献や資料を調べるのは大変だが、散策ガイドなどを頼りに家の近所を散策するだけでふるさとに関する発見があるのでは」と話す。先人、神社、仏閣、古墳に道標…。テーマを決めて歩いて見たら新たな魅力に気づくかもしれない。参考文献/厚木の歴史探訪(厚木市文化財協会)、保存版ふるさと厚木・愛甲(株式会社郷土出版社)】
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