「一生“ついて”まわるものだから大切にしてほしいね」。出生届からずっと、日本ではなくてはならない印鑑。現在では安価に大量生産できる機械彫りが主流だが、唯一無二の手彫りに今もこだわる印章彫刻士だ。
中学を出てすぐ「手に職を」とその道に。昭和38(1963)年に厚木市幸町で独立し、7年後から現在の同旭町で店を構えた。元号が令和に変わり、多忙にもなったが「1月猶予があったからね」。
通常、手彫りの際は両刃の中鋒(ちゅうほう)を使うが、今では珍しい片刃の片鋒(へんぽう)の使い手。そのため大河ドラマ『龍馬伝』の篆刻(てんこく)指導にもあたった。仕事を始めた当時から使っているという片鋒は、年期こそ入っているが綺麗に手入れがされている。
今も定期的に書と篆刻のコンクールに出展し、時間があれば練習と制作に励む。御年83歳でも研鑽を重ねる毎日。「今も仕事ができて幸せだよ。一生勉強、体が動く限り続けていきたい」とにっこり。「判子はなくなることはない。唯一無二の良さを伝えていきたい」。現在、店は息子と一緒に二代で仕事をしている。
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