江戸時代―。酒井村(現在の酒井周辺)に屋敷を構えた山角氏の代々の墓石が法雲寺(酒井2471)に今も残っている。
山角氏は、小田原の北条氏の重臣と言われている。伊勢新九郎(=のちの北条早雲)が伊豆に入るときから助け合い、小田原城を落とすときには手柄を立て、新九郎が改名した際に家臣となり、奉行などを務めた。
戦国末期、山角氏の小田原での戦いぶりを見た徳川家康の家臣、井伊直政は「敵ながらあっぱれな武士」と讃えた。北条氏直の死後は直政を通じ徳川に召し出され、1200石の領地を与えられ旗本に取り立てられた。山角氏は酒井その他を領し、徳川氏に忠勤を励んだという。
今も地名に残る
相川郵便局近くの交差点(酒井2090の8付近)には、『小田原橋』の石碑が残されている。厚木から平塚へ向かう旧道・八王子道の、恩曽川にかけられた石橋だ。
1927(昭和2)年、小田急電鉄が開通した年にコンクリートの大きな橋に変わった。その後84(同59)年に酒井三田地区の区画整理事業で埋め立てられ、欄干の一部と工事中に発掘された石橋供養塔を地域住民が設置した=写真左下。
橋の名前の由来は、「山角氏の館があった」、「1703(元禄16)年の大地震の際に津波が押し寄せ、地震の別称が小田原地震だった」、「三増合戦の際に北条小田原軍が甲州武田軍を追ってここまで来た」などさまざまあるが定かではない。
小田原城のほど近くには『山角町』という旧町名の石碑=写真右下=が建てられており、山角氏の屋敷があったと書かれている。近隣には、地域住民から「天神さん」の愛称で呼ばれる山角天神社もある。※参考/あつぎまなびネット
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