▽創業は江戸時代・元禄14(1701)年。318年もの永きにわたり現在の地(元町15の31)で続く理髪店だ。店内には、初代から12代目にあたる奨悟さんまでの系譜が掲げられている。初代は江戸生まれ。屋号は横町床。7代目の時に、長島姓を名乗るように。血とともに、脈々と看板が受け継がれてきた。
▽「さすがに曽爺さん位までしか話は聞いたことがないなぁ」と苦笑い。髷(まげ)や日本髪などを結う髪結いとして8代目まで続き、近代から理髪店として営む。「祖父は、新しいものが好きで古いものは残さない人だった」と、残念がる。唯一残るのが、享保12(1727)年に記されたという巻物「髪結職由緒書之事」。当時の役所からのお墨付きだ。三川合流点「厚木の渡し」と呼ばれた渡船場跡の目の前に位置する同店は、古くは大山詣りに向かう人や芸妓衆で賑わい、厚木の歴史と共にあった。横須賀から来た黒人の兵隊の髪を、火コテでまっすぐに伸ばすと口コミで評判が広がるなど、いつの時代も人気を博した。直近では「パンチの長島」と呼ばれるほどパンチパーマに定評があったという。「私が仕事を始めたころはパンチが人気で、バブルで景気も良かった。朝から晩までやったので、早さも腕も自信がありますよ」とにっこり。寿町には支店も構える。
▽専門学校時代からの友人も、今も理髪店を商うのはごくわずかだという。しかし近年のバーバースタイルの人気から「若いお客さんも増えました」。中には3代、それ以上にわたるお客さんもいるそう。店には両親と3人で立つ。「中学生の息子には好きなことをやらせてやりたいから、この後はわからないけれど…」。そうして今日もまた、伝統を紡いでいく。
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