厚木神社(厚木市厚木町3の8)は、明治維新以後の名称で、それ以前は午頭天王社と呼ばれ、一般には天王様と尊称されていた。現在も「お天王さん」と地元では親しまれている。
同社は天延年間(973―)の創建と伝えられ、創建は郷内西方の字、天王免(明治9年地租改正の時、字大井と改め、その後耕地整理の時に字恩名境となる)の地に勧請されたと伝えられている。現在の栄町2丁目の国道246号線沿の旧地と伝えられる場所に、明治44年再建の石祠がまつられ、歴史を留めている。
現在地に移された明確な記録は今のところ発見されていないが、元和4(1618)年に再建の棟札が所蔵されていたことが記録にあり、それ以前だろうと推測されている。
鎌倉時代には那須与一が眼病平癒祈願をした伝承や、江戸時代に下野国烏山藩の所領となり神社脇に厚木陣屋が設けられたことなどから、厚木草創期から郷民の安寧と政治経済の中心として尊宗されていたことがうかがわれる。
昔は水中渡御も
現在の例大祭は7月14日(宵宮・神輿御霊入れ)から16日(神輿渡御)まで(7月第2または第3金から日曜日)執り行われているが、明治初年以前には6月6日(旧暦)から7日間続いて行なわれたそうで、氏子は、旧厚木町地区全区だったという。
昔の祭礼の行事は、京都の祇園祭を型どり、町の中央の堀の両端には傘鉾三十数本を立て連らね、町内毎に大臓を建てたという。正午を期して神輿が神社から担ぎ出され、烏山藩厚木役所(旧厚木市役所本庁舎の場所=神社の北隣)の前を通り、相模川に入って水中渡御を行ない、それから各町内をねり歩いた。祭り囃子もにぎやかに数万の人出を数えたという。
今年は残念ながらコロナの影響により中止だが、現在も神輿渡御やパフォーマンス等の神賑行事、屋台の出店など、賑わいを見せている。
※参考「厚木神社由緒」「厚木市史史料」
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