衆議院の元速記者 石田 耕造さん 高森台在住 80歳
運命が記した「ばかやろう」
○…「昭和28年2月28日、午後3時30分。23歳の私は国会議事堂の予算委員室にいた」。この日の衆院予算委員会では吉田茂首相と社会党議員の質疑応答が行われ、やりとりは白熱。「(他国の)大統領が言ったことを引用しないで総理として答えろ」と総理に詰め寄り「総理として答弁できないのか」とたたみかけた。思わず口をついた総理の言葉を聞き逃さずにペンを走らせた。「ばかやろう」。
○…この速記録が火種となり、3月14日、内閣不信任決議案が可決され、同日衆議院は解散。後にバカヤロウ解散と呼ばれるこの出来事。「速記の担当時間はわずか10分程度なのに、あの発言の瞬間も解散の瞬間も現場に。運命だったと感じる」。戦後復興から高度成長を歩む日本の転換期を国政の現場で過ごした。今は40年前から住む高森台の自宅で妻と2人、ゆったりとした時間を過ごす。
○…速記者を志すきっかけとなったのは、旧制中学3年の時に開かれた五輪選手の講演会。当時、文芸部の部長だったため顧問から講演の要約筆記を頼まれた。だがスポーツ選手の話は記録やデータなど、数字が多く筆記が追いつかなかったという。「人の言うことをメモできるようになりたい」。そんな意地にも似た感情が、衆議院速記者養成所の生徒募集広告に引き合わせた。バカヤロウ発言はそれから3年後のことだった。「60歳の定年までに色んなことを経験した。夢のようだったな」と充実の表情。
○…80歳の今も体力は衰え知らず。毎週、合気道のけいこに出かける。競技歴38年、6段の腕前だ。さらに地域では有志と作った卓球クラブでラケットを振っている。元気の源は「楽しく汗をかくこと」と話すが、最後にもう1つ付け加えた。「けいこや練習の後に仲間と飲む酒。これが最高なんだよね。でも、これは書かないでね」。
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