サンボ競技の元世界王者で、市のレスリング協会発足などにも携わった 古賀 正一さん 浦上台在住 82歳
後世に残す 栄光の軌跡
○…レスリングやサンボの選手として優勝した大会は数百個に及ぶ。吉田市長直々からあった寄贈の依頼に快く応え、今月から横須賀アリーナには、自身が世界大会で獲得したメダルやカップ10点が展示されている。数年前、頭蓋骨骨折の重傷を負い、ここ最近は体調不良の日も少なくない。「地元の子どもたちにも見てもらうことで競技に興味を持ってくれれば」と後世に伝えたい思いがある。
○…生い立ちは壮絶だ。日本人の父とロシア人の母の間に誕生。亡命先の満州で馬を扱うコサックとして育てられた。10歳の時、戦時の混乱の中、両親とはぐれてしまった。同胞でもソ連軍の敵として殺される可能性があったため、逃げ惑う日々。生きるために父の故郷、九州を目指した。死体の山から道具や食物を漁り、隣で殺される親子連れを片目に、約1000キロを鉄路も使いながら4カ月で踏破。1人で引揚船のある港に辿り着いた。
○…その後は都内で学生生活を送り、大学生でレスリングに打ち込み始めた。就職先の宅地造成会社があった縁で横須賀に居を移すと、全日本大会で優勝するなど一流選手の仲間入り。すると柔道やレスリングの要素が交じった格闘技「サンボ」の連盟から、国技としているソ連に技術習得を目的に派遣された。祖父を射殺されたソ連には恨みがあったが、「礼儀正しい選手達でスポーツには関係ないと悟った」。コサックの経験や引揚時に培った脚力、背筋力に加え、関節技を武器に活躍、ロシア名の「ビクトル」は世界中に広まった。公式戦43戦無敗、4度の世界一は伝説となっている。
○…引退後は後輩の指導に尽力。長州力や初代タイガーマスク佐山聡など名を馳せた教え子も多い。30カ国以上世界を転戦した中でも「やっぱり一番好きで落ち着く」と話す横須賀には60年近く住んでいる。怒涛の人生を振り返って、「今はお酒を飲みながら、ゆっくり余生を楽しみたい」
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