かつては市民生活の一部として、近所になくてはならなかった公衆浴場、通称「銭湯」。人々の生活様式の変化に伴い、全国的に店舗の減少傾向が続き、現在はその存続さえ危ぶまれるほど勢いを失ってしまった。
住環境の変化に押され
横須賀市内では1960年代から70年にかけておよそ100店も存在していた。その背景には戦後、人口増に伴って市営住宅が急ピッチで進み、軍からの転用など内湯の無い住宅が多かったことが要因に考えられる。80年代になると風呂釜設備が設置されたこともあり、徐々に利用者が減少。各店の売り上げも下がり、子どもたちが後を継がないケースが増えた。また設備の老朽化が進んで改修工事が必要となると、巨額な費用負担を理由に閉業を決意する店舗も増え始めた。
横須賀市史によると、かつて造船業の街として栄えた浦賀地区では職工やその家族が周辺地域の銭湯を利用していた。同地区の銭湯は最盛期に25店ほどあり、活気があったが徐々に衰退。3年ほど前から閉業が加速し、市内23店の加盟店は、現在では16店。神奈川県内でもピーク時の約500店から現在は152店に激減している。
若年層の集客が課題
利用者拡大を目的に、横須賀を含む県浴場組合はしょうぶ湯や柚子湯などをイベントデーとして入浴料を割引く試みを実施。また近年のランニングブームを受け、運動後に浴場を使ってもらおうと荷物を預かる取り組みも展開し、新たな利用者取り込みを模索中だ。
横須賀浴場事業協同組合理事長の山岸充義さんは、快適性を求めていくスーパー銭湯やスポーツジム内の入浴設備と異なり、他者との会話を楽しみに来る場所でもあるという。生活に必要不可欠だった存在から、高齢者を中心とした社交の場へと姿を変えつつある。山岸さんは小学生を招いて職場体験を行った際に、銭湯を利用したことのある児童がいなかった経験に触れ、「銭湯へ行くきっかけがない若者が多い。若いうちに入浴体験などを通して親近感を持ってもらうことが必要なのでは」と話す。また災害時のみならず、現在も住居に風呂釜設備が無い市民が常連客にいることから、経営を続ける使命感もあるという。
厳しい環境の中でも懸命に経営を続けている4店舗に着目した。
日の出浴場(安浦町)薪炊きにこだわり
風呂の沸かし方はガスや重油といった燃料を使う方法もあるが、かつては薪を燃やす仕組みが主流だった。日の出浴場では工務店や解体業者が無償で持ち寄る廃材を使用。排出される煙が少なく、燃焼後に出る煤は肥料として利用価値が高いなど、環境面や経済面で利点が多い。
一方で廃材の運搬や切断、燃焼後に煤や木片に残る鉄釘の掃除などの作業が負担となるが、薪湯は遠赤外線効果もあり、入浴客から「柔らかい」と好評という。店主の話だと「銭湯に通うことで肌の炎症が減った」という声もあるそうだ。
ニュー松の湯(追浜東町)新たな公共空間に
浴場横のドアを開けると、落ち着いたインテリアのカフェ。創業から約70年、”三代目”の山崎涼子さんが一昨年末、県の「未病」関連の助成を受け、これまで未使用だった2階スペースをカフェに改装した。「思いやりプレート」と名付けた日替わりメニューは野菜中心のおかずとスープがメイン。カフェに来て、初めて銭湯に入ったという若い人も。「お風呂の常連さんから、近隣の新住民まで多世代の交流の場になっている」と山崎さん。骨密度測定や落語会なども企画。「入浴と食。健康を意識できる空間に」と話した。
竹の湯(船越町)アートなタイル絵
船越・仲通り商店街を抜けたところに「竹の湯」はある。暖簾をくぐり浴場に入ると、真っ先に目が行くのが男女の浴室の仕切り壁に並んだタイル絵。牛若丸と弁慶が対峙しているものや池にたたずむ金閣寺などが並ぶ。右下には印があり、石川県金沢にあった「鈴栄堂」で製造された九谷焼だと分かる。店主によれば、1963年に先代から引き継ぎ、同時に建て替えをした際に設置したそう。歴史を感じさせないほど状態が良い。店主は「いつも見ているから気にならないが、時々お客さんに褒めてもらえる」と話した。
やすらぎ温泉(平作)居抜き物件で開業
「銭湯は地域の社交場─」。
こう断言するのは、脱サラで銭湯経営に乗り出した泉徳治さんだ。7年前に郵便局を退職し、自営業の道を模索していた中で売りに出されていた銭湯の情報を掴んだ。泉さんの実家は平作にある「明徳湯」。幼少期から家業を手伝ってきた経験が身体に染みついており、開業に不安はなかった。
顧客は65歳以上が7割。常連客に支えられているが、違ったニーズも感じている。「大楠山散策を楽しんだ人たちが立ち寄って汗を流していくケースが増えている」。新たな銭湯ファンの開拓につなげていく意向だ。
横須賀・三浦版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|