安針塚は単なる供養塔ではなかった―。横須賀市は今月9日、三浦安針墓に関する新たな発見があったことを明らかにした。これまでは「埋蔵物に本人の遺品があるのでは」との伝承に留まっていたが、先ごろ、修理保存の概要を記した大正期の文献に「毛髪等の遺物が発見され、これをもって(按針の)墓と断定した」との記載を見つけた。関係者らは「今回の発見はとても意義深いもの」と話している。
塚山公園の中央に位置する安針塚は、彼の遺言によって建てられた。按針とその妻の供養塔として1923年に国の史跡に指定されている。
按針の没した平戸市にも「墓立碑」があり、一昨年の夏、同市の遺跡発掘調査で石碑近くから人骨が見つかった。「鑑定に繋がる資料はないか」と声を掛けられたのが、菩提寺である浄土寺(西逸見)の逸見道郎住職。そこで同寺所蔵で、大正10(1921)年に著された「安針塚修理及保存ノ概要」を調べたところ、明治38(1905)年の修復工事調査において「鬢髪等遺物ノ埋蔵シアリシヲ以テ『アダムス』氏ノ墳墓タル確保ヲ得タリ」との記載があった。鬢髪とは耳際の髪の毛のことで、つまりは「毛髪等の遺物があったため、これをもって按針の墓と断定した」という内容。
文献によると、調査は英国公使の希望により行われ、理学博士の坪井正五郎氏が立ち会った。大正天皇をはじめ伊藤博文、原敬、大隈重信、渋沢栄一や徳川家・三井家・岩崎家といった政財界の有力者100人余りから、修理に関する寄付を受けたという記述もあった。「没後約300年の当時、按針の功績が深く讃嘆されていたことに驚いた。調査には人類学や文学の第一人者も関わっていたことから、修復は重要なプロジェクトだったと推測される」と逸見住職は話す。
発掘調査の予定なし
平戸の遺骨は、調査によって「西洋人男性のもの」と分析されたことが、今年4月に明らかになった。また、按針が設立に尽力した英国商館(平戸)の館長コックスの日記には、按針の没後、逸見を訪れて遺品を息子のジョセフに手渡ししたとの記録もある。そしてこの文献により、平戸から逸見への軌跡を辿る糸口が見つかった形だが、安針墓は国の史跡のため、市生涯学習課では新たな発掘調査や鑑定などを進めるのは、現状のところ難しいとしている。
19日にセミナー
按針の没後400年に向けて大河ドラマ化の機運を高めようと、地元の市民団体「按針のまち 逸見を愛する会」では5月19日(日)に学習会を開催する。「按針セミナー」と題し、逸見住職と同会会長の米山淳一氏が登壇。文献発見に関連して、按針が明治・大正期の有力者からも深い敬意と称賛を得ていた理由を考察する。
会場は西逸見町の生涯学習センター、午後2時から3時30分、当日先着180人。参加無料・事前申込不要。問い合わせは同会【電話】046・822・1033
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