日露戦争の日本海海戦を勝利に導いた立役者である旧日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎と開戦直前に東郷を指揮官に任命した山本権兵衛(ごんのひょうえ)の末裔同士が歴史秘話を語る日露戦争トークショーが今月25日、稲岡町の記念艦三笠で開かれた。歴史好きなど約120人の参加者が熱心に耳を傾けた。郷土の魅力をカルタあそびを通して伝えている「横須賀カルタ製作実行委員会」の主催。
逗子市在住の東郷宏重氏は平八郎のひ孫にあたる。防衛大を卒業後、海上自衛隊に勤務。現在は民間企業で働いている。山本盛隆氏は大和市在住。権兵衛のルーツである鹿児島県で薩摩大使や南大隅町交流大使を務めている。
宏重氏は、日露戦争で東郷が旗艦である戦艦三笠に座乗して活躍したことを世に知らしめた歴史小説『坂の上の雲』を執筆した司馬遼太郎が、記念艦三笠の士官室で海軍大佐を集めて取材を行い、物語の下地を作ったエピソードを披露。自身の祖父がその一人であったことも明かした。
一方の盛隆氏は、「日清日露戦争の時代に政治家として三笠を決死の覚悟でイギリスから購入することを決めたのが権兵衛であり、列強の侵略から国を守るために何が必要かというグランドデザインを描いていた人物」と説明。日本海軍の近代化のために90人近くの幹部士官を更迭し、新しい士官を迎えるリストラを断行したほか、要職に就いていた幼なじみにクビを言い渡し、東郷を抜擢する人事を敢行したことなどから「私情を挟まず、情熱を制御する冷静な判断力を持ち合わせていた」と語った。
フリートークでは、宏重氏がロシア・サンクトペテルブルクの軍事博物館に設けられた「日露戦争資料館」を訪れた際に、日本海軍の制服を飾りたいとの要請を受け、平八郎のサイズに合わせてレプリカを用意したことを紹介。かの国では、日露戦争について「『騎士道と武士道』の戦いであり、国家の任務を背負い、家族の命を賭して争ったことが展示されていた」とした。
盛隆氏は、船がなければ大陸に攻め入ることができない「制海」という概念を唱え、海軍に対して優位に立っていた陸軍を対等な関係にした権兵衛の豪胆な一面を伝えたほか、歴史を未来に託す「伝道者」の必要性を説いた。「(日本は)日清日露戦争があった30数年後に太平洋戦争に突入した。歴史は繰り返す。一人ひとりが学んで考えなければいけない」と話した。
トークショーの最後には、”海軍の父”と称される勝海舟の玄孫の高山みな子氏が飛び入りで登壇、場内を沸かせた。
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