久里浜6丁目付近にあった旧海軍工作学校の戦没者慰霊祭が今月22日、久里浜公園で行われ遺族ら26人が参加した。久里浜観光協会の主催で44回目。久里浜八幡神社の宮司による玉串奉典などが行われ、参加者は戦没者の冥福を祈った。
海軍工作学校は太平洋戦争の開戦に備え、艦船の溶接技術や水中潜水作業術など工作術の習得を目的に開校した旧日本軍の教育機関。1941年から4年半で2万人以上の卒業生を輩出した。敵国から爆撃を受けた際に軍艦を補修する工作兵として戦地に向かった彼らだったが、5千人余りの命が犠牲になった。
敷地面積28万坪の校舎は戦後解体され、小中高や図書館など現在の文教地区になった。同公園内には遺族らの手で跡地を示す石碑が建てられた。
「国のために命を奉げた工作兵がいたことを知る人はもう少ない」。工作学校で教官を務めた故・益子五郎さんを父にもつ健一さんは石碑に目を向ける。五郎さんは開戦時、空母「赤城」で真珠湾攻撃に参戦。その後のミッドウェー海戦にも挑んだが、全長254mの巨艦は沈没。激しい炎に包まれる中、味方の艦に救助され、間一髪で生還したという。関係者の高齢化に伴い、こうした歴史を伝える人が減ったことに健一さんは危機感を募らせる。
郷土の歴史や文化を伝える市民団体「久里浜の文化を考える会」は、明浜小学校で海軍工作学校にまつわる授業を通して、児童らに戦争の悲惨さから平和の尊さを学ぶ大切さを語り継いできた。会長の小川喜久雄さんは「この地に工作学校があった事実を後世に伝え続けていく」と話す。
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