1927(昭和2)年に、日米友好の証として両国が人形を贈り合った歴史に焦点を当てた展示企画「青い目の人形展」が、12月10日(土)から浦賀コミュニティセンター分館(浦賀7の2の1)で開かれる。米国から浦賀地域の小学校にも届けられた記録が残されており、当時の時代背景や第2次世界大戦を挟んで人形が歩んだ悲しい運命を振り返る。市井の歴史研究家である仲野正美さん=人物風土記で紹介=が企画した。会期は来年1月9日(月)まで。
今から95年前、米国の子どもたちから約1万2700体の「青い目の人形」が届き、日本からはお礼を意味する「答礼人形」58体が海を渡った。
経済の悪化で世界中が悲観的な空気に包まれていた時代。日系移民労働者が、米国人の雇用をおびやかす存在として激しい迫害を受けており、「日米の対立を憂慮した親日家の牧師が融和策として展開したのが人形を通じた親善活動。全米の子どもたちに呼びかけ、集められたのが『青い目の人形』だった」と仲野さん。人形は日本中の小学校に広く贈られ、横須賀には22体が届けられたという。高坂小学校の校長室にはこれを抱きかかえる当時の校長の写真が残されており、浦賀小には児童らが感謝の気持ちを綴った礼状を米国に発送した記録がある。
この草の根の民間外交を国内で支持したのが実業家の渋沢栄一だ。親善事業の推進役として「国際児童親善会」を結成し、約80cmある日本人形を高価な衣装や調度品と一緒に贈った。県や自治体を代表するもので、神奈川からの人形は「神奈子」と呼ばれ、写真が高坂小に保存されている。
ただ、両国が贈り合った人形は別の運命を歩んだ。大戦時に日本では「敵性スパイ人形」とされ、壊されたり、燃やされたりしたのに対し、米国では美術館や博物館に納められ、幾体もの人形が里帰りを果たしている。「青い目の人形は全国で約330体が見つかっている。三浦半島では葉山小の一体が現存しているのみ」と仲野さん。今回の企画展では、運動の全体像を解説するとともに、地域に残る記録をパネルや写真で紹介。仲野さんによる展示説明や講演会もある。
問い合わせは同センター分館【電話】046・842・4121
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