OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第1回 プロローグ(倉渕編【1】)文・写真 藤野浩章
ヴェルニー公園の目の前にある米海軍横須賀基地。そこにいくつかあるドックのうち、基地に向かって一番右側にある1号ドックは1871年の完成。今から150年余り前に建造されたものだが、今も現役で使用されている。
このドライドックをはじめ、郵便、ガス灯、鉄道...これらは明治維新をきっかけにした"文明開化"の象徴として教科書でもおなじみの事柄だ。さらには株式会社、中央銀行、商工会議所──これらを構想し、導入のきっかけを作ったのは実はたった1人の人物である事を知る人は少ない。
その名は、小栗忠順(おぐりただまさ)。「小栗上野介(こうずけのすけ)」という官職名でも知られる通り、江戸幕府(・・・・)の幕臣だ。
そう、勘の良い方ならお気づきかと思うが、実は「明治維新よりも前に、文明開化は始まっていた」と言えるのだ。しかも明治新政府でなく江戸幕府の手によって、である。そして、それらの"火付け役"となったのが、他ならぬ小栗上野介、その人だったのだ。
「彼は武士の感覚と近代の感覚を持った類(たぐ)いまれな人物。自分の目で見て確かめたものを信じて推し進める、徹底したリアリストだったと思います」。連載を始めるに当たって小栗の菩提(ぼだい)寺である群馬・東善寺(とうぜんじ)を訪れると、住職の村上泰賢(たいけん)さんは彼の人物像をこう推測してくれた。「でも本人はとても不器用な人だったと思います。人におもねったり、地位や名誉を考えて立ち回ったりもしない。本当に真面目で頑固な武士、と言えるのかもしれません」
激しく揺れ動く幕末にあって、最後まで250年以上続く"江戸城本丸"を守り抜こうとしたとも言える小栗。しかし主君に忠実な一方で、外国に学び、その良さをいち早く取り入れることで諸国の侵略を防ぐ、という揺るぎない信念を持っていた人物でもあったと言われている。
この連載では、1994年に出版された大島昌宏『罪なくして斬らる─小栗上野介─』をベースに、サイドストーリーも取り入れながら、小栗忠順の波乱に満ちた人生を自由に推測していくことにする。
目指すゴールはただ1点。"なぜ小栗は罪なくして斬られたのか?"──本書が世に出てからちょうど30年めの今、改めて亡き父・大島と一緒に考えてみたいのだ。
『罪なくして斬らる─小栗上野介─』
"日本近代化の父"とも評される小栗上野介。横須賀製鉄所の創設のみならず、幕府財政の立て直しに取り組み、複雑な外交交渉を切り盛りし、さらに日本初の株式会社に関わるなど、その才覚は外交、経済、軍事などにいかんなく発揮された。未来を見据え、外国と渡り合い、組織を変革し、誰よりも"義"を重んじた彼が残したものは?そして──"罪なくして"斬首されたのはいったいなぜだったのか?
「第3回 中山義秀文学賞」を受賞し、NHKでドラマ化された歴史小説が30年ぶりに電子書籍で復刊!
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