横浜F・マリノスの育成組織「ジュニアユース追浜」に在籍していた中学生時代に全国大会出場、桐光学園高校ではライバル達としのぎを削り、2年時にスタメンを勝ち取りました。全国大会を制覇した中央大学2年時には大会優秀FWに選出。小学生の時からの夢だったJリーグの世界へ向け一直線に走っていました。
しかしこの大会直後、右鎖骨を骨折。このケガが常態化し主力メンバーから外され、チームから”忘れられた存在”となりました。とにかく悔しかった。幸い2年時の活躍がスカウトの目に留まっていた事で、4年時にはJリーグのセレクションを受けられることに。しかし度重なるケガが原因でドクターストップ。私の夢はここで潰え、人生最大の挫折を味わいました。
その後、無気力になりサッカーを遠ざけていた時期もありましたが、「Jリーガーよりも稼いでやる」という負けん気で就職活動に移行。しかし友人からの「それほどの挫折を味わったなら、その経験を伝えられる職業が向いている」という言葉でハッとし、結果より過程が大事なのだと考えられるように。一転、教員を目指し今に至ります。顧問を務めるサッカー部や行事では生徒に結果を求めていません。目標に向けてどう取り組んだのか。それが自分の人生の核になると確信しているからです。
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