OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第14回 駿河台編【5】文・写真 藤野浩章
「たとえ一時しのぎはできたとて、再び同じ事態が起るのは必定(ひつじょう)でございます」(第一章)
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江戸に帰った小栗はさっそく老中・安藤信正(のぶまさ)に対馬藩の国替(くにがえ)を提案するが、「内外ともに多事多難なこのご時世に、煩雑な手続きを要する国替などやっておれぬ」と一蹴されてしまう。
それに加え、忠順(ただまさ)を激怒させたプランが進行していた。ロシアを追い払うためにイギリスに仲介を頼むというのだ。
直前に江戸高輪(たかなわ)で発生した東禅寺(とうぜんじ)事件(1861)で、攘夷(じょうい)派の志士によりイギリス公使オールコックが襲撃された事を逆手に取り、ロシアを追い払えばイギリスは日本の味方であるとアピールできるはず、という奇策だった。小栗がはるばる対馬に行っている間に、江戸ではすでにストーリーができ上がっていたのだ。この案を立てたのは、他ならぬ勝海舟(かつかいしゅう)。安藤からその名を聞いた小栗の心中は穏やかではない。
しかもイギリスは最初に対馬を狙った国。「それは前門の虎を追っ払って、後門(こうもん)の狼(おおかみ)を迎えるようなもの」と彼は食い下がる。せめてアメリカを頼る方がよっぽど良かったが、ちょうど南北戦争に突入し、とても外国に構っていられない状態。"ヒグマ"に対抗できる力が無い日本は"虎"に頼るしかなかった、というわけだ。
小栗が考える抜本的な策は理解をされるのだが、ほんの少しずつの歴史の積み重ねの中で、結局は"小手先"の案に押し切られてしまう。彼が命を懸けて戦ったのは、外国だけでなく身内でもあったのだ。
忠順は安藤と激しい口論の末、ついに外国奉行を辞することになる。
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