神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
横須賀・三浦版 公開:2024年10月11日 エリアトップへ

OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第19回 アメリカ編【3】文・写真 藤野浩章

公開:2024年10月11日

  • X
  • LINE
  • hatena
航路の概略図(東善寺蔵)
航路の概略図(東善寺蔵)

 アメリカへの海路は、実に過酷だった。

 太平洋を渡る航海技術を日本人は身につけていなかったために米海軍の水兵が乗り込んでいたが、結局のところ、操船はほぼ米軍が行っていたという。咸臨(かんりん)丸に乗ったブルック大尉の日記によれば「日本人は全員船酔い」。37日間の航海のうち6日ほどしか晴れなかった、という過酷な航海で、特に艦長の勝海舟(かつかいしゅう)はほぼ船室から出てこなかったという話は有名だ。それもそのはず、米海軍でも経験したことがないほどの猛烈な時化(しけ)が続き、全滅の可能性すらあったのだ。一刻も早く船を降りたいと日本人の誰もが願う中で、幕府の「異国船打払(うちはらい)令」はあまりにもひどい仕打ちだ、と身にしみて思ったという。

 さて、この咸臨丸には後に勝を痛烈に批判することになる福沢諭吉(ゆきち)や、通訳でジョン万次郎(まんじろう)も乗っていた。彼はペリー来航時にも通訳を担当する予定だったが、米国のスパイではないかと疑われて叶わず、今回は満を持しての渡米だった。

 スパイと言えば、小栗も米国側からスパイではないかと疑われた。「目付(めつけ)」という旧来の役職が"スパイ"と翻訳されたのだ。「監察」と言い換えて誤解は解けたが、小栗は渡米前、実にスパイさながらの調査をしていた。彼は前年からブルック大尉と頻繁に会うなどして、太平洋航路はもちろん米国の地理、気候、習慣などを事細かに調べ上げていたという。航海中はご多分に漏れず船酔いに苦しめられたというが、好奇心旺盛で責任感あふれるこの準備はこの後、存分に発揮されることになる。

 苦難の航海の末、一行はようやく北米大陸に到達する。

OGURIをあるく-画像2

横須賀・三浦版のコラム最新6

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第19回 アメリカ編【3】文・写真 藤野浩章

10月11日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第18回 アメリカ編【2】文・写真 藤野浩章

9月27日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第17回 アメリカ編【1】文・写真 藤野浩章

9月20日

わたしのまちでいきる

わたしのまちでいきる

【30】商工会議所との連携「一般社団法人sukasuka-ippo代表理事 五本木愛」

9月20日

第60回 1000以上の別名を持つ「ヒガンバナ」

三浦半島 草花歳時記

第60回 1000以上の別名を持つ「ヒガンバナ」

文・写真 金子昇

9月20日

OGURIをあるく

OGURIをあるく

〜小栗上野介をめぐる旅〜第16回 駿河台編【7】文・写真 藤野浩章

9月13日

宅建協会 横須賀三浦支部

弁護士による「不動産の法律無料相談」を10月15日(火)に実施します。

https://kanagawa-takken.or.jp/association/chiiki/yokosuka_miura/

上町商店街連合会

1冊につき3000円分お得! 「うわまちプレミアム商品券」

046-822-4384

<PR>

意見広告・議会報告政治の村

あっとほーむデスク

  • 10月11日0:00更新

  • 10月4日0:00更新

  • 9月27日0:00更新

横須賀・三浦版のあっとほーむデスク一覧へ

コラム一覧へ

  • OGURIをあるく

    OGURIをあるく

    〜小栗上野介をめぐる旅〜第19回 アメリカ編【3】文・写真 藤野浩章

    10月11日

横須賀・三浦版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年10月11日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook