OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第20回 アメリカ編【4】文・写真 藤野浩章
ゴールドラッシュの余韻が残るサンフランシスコに上陸すると、ここで咸臨(かんりん)丸はハワイ経由で帰国し、残った使節団は米海軍の別の船に乗り換えて首都ワシントンへ向かうことになる。
行く先々で一行は手厚い歓迎を受け群衆に囲まれるが、これはもちろん、未知の東洋からはるばるやって来た日本人が物珍しかったことも大きいだろう。同時に、各地で一行が目にするものは何もかも刺激的だった。
とりわけパナマでは鉄道が敷かれているのを目の当たりにし、小栗はさっそく質問攻め。政府でなく民間からの出資による「コムペニー(カンパニー)」の形式だと知る。当時長崎や横浜では外国のコムペニーが取引を行っていたが、これは単に商品の売買を行うもの。パナマ鉄道のように巨大な社会インフラを整備するためのコムペニーがあれば、財政難の幕府であってもやれることが増えるはずだ。この形式は、帰国後に実現することになる。日本初の株式会社は、小栗によるものだったのだ。
さてワシントンへ至ると、歓迎ぶりは最高潮に達する。小栗たちはその様子を「江戸の祭りのようだ」と語り合ったというから、相当なものだったのだろう。
日本を発って4カ月。ついに一行はホワイトハウスでブキャナン大統領に条約批准(ひじゅん)書を手渡す。一連の様子を取材したロンドンのタイムズ紙は「国際社会へ出てきた日本人は、排他的ではない。落ち着きと知性がある」と報じたという。
日本政府としてのミッションは終了したが、小栗にとってはこれからが本当の仕事。ついにワシントン海軍造船所の見学へ向かうのだ。
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