OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第21回 アメリカ編【5】文・写真 藤野浩章
日米修好通商条約の批准(ひじゅん)書を渡す目的を果たした一行のミッションはまだまだ終わらなかった。近代化に遅れた日本は今後どこから手をつけるべきか、そのきっかけを先進国アメリカでくまなく見聞するという大仕事が待っていたのだ。
なかでも重要だったのが、工業化。ワシントン海軍造船所を訪れた一行を待っていたのは、まさにその"答え"だった。
造船所と言っても、そのイメージは全然違っていた。まず鉄をつくり、そこからエンジン、タンク、パイプ、ハンドル、ボルト、ナット、そして大砲と弾・・・あらゆる部品に変えていくのだ。そこで彼らの目を引いたのが、鉄を成形するスチームハンマー。随行者が「豆腐を切る如(ごと)し」と驚いたように、日本では鍛冶(かじ)屋が何日もかけるような作業をあっという間に行っていた。
さらに木工場では、日本の民家数十軒分の材木を加工し、船体や手すり、床、階段からドアやベッドなどに加工。帆や、ロープをつくる製鋼(せいこう)所の細長い工場もあった。ここでは、鉄や木材、繊維がまるで魔法のようにあらゆる部品に姿を変えていたのだ。
最後に部品を合わせ、船が出来ていく──ここは造船所という名前ではあるが、実際のところはあらゆる製品をつくる能力を持つ「総合工場」だった。こういう工場を日本に造ってノウハウを持てば、そこから船だけでなくあらゆる製品が生まれ、暮らしが変わる。その先には無限の広がりが待っているはずだ。
小栗にとってここは、日本の未来を決定づける夢の工場に見えたに違いない。彼が大切に持ち帰ったネジには、そんな想いが詰まっている。
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