OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第22回 アメリカ編【6】文・写真 藤野浩章
造船所の見学で、小栗の胸は高鳴ったに違いない。幕臣としては、近代化により人々の暮らしを豊かに便利にしたい。そして軍政家から見れば、島国の日本はまず海軍をしっかりつくらないといけない。しかし同時に、財政家としては、いったいこれはいくらかかるのか?という超難問が待ち受けているのだ。
一行は別の造船所の見学も申し込むなど熱心に視察をするが、一方で政府造幣(ぞうへい)局を訪ねて日米の金貨の詳細な分析調査を行い、日米の通貨交換レートが不当であることを認めさせる。もちろんこれは小栗の"ノーと言える"粘り強い交渉によるもので、渡米前に大老・井伊直弼(いい なおすけ)と詳細に打ち合わせをした裏ミッションだった。
羽織袴(はおりはかま)に草履(ぞうり)の武士が、礼儀正しく各地を視察する様子は現地で大きく報道され、一行は各地で熱烈な歓迎を受ける。特に通訳として視察団のスポークスマン的な役割を担った立石斧次郎(たていし おのじろう)は米軍将校から「トミー」と呼ばれ、気がつけば若い女性から爆発的な人気を集めることになった。その名は船内のあちこちを覗(のぞ)き見する俗語"ピーピングトム=覗き屋"から転じたという説も。16歳の若さで好奇心旺盛。航海中に英語力が劇的に増した彼は「トミーのポルカ」という流行歌の主人公になったほど、アイドル的な人気を呼んだ。とかく"不思議な身なりの東洋人"と差別的な目で見られることが多かったであろうが、視察団はそのイメージを少しは払拭したかもしれない。
さて「紙と木の国」から「鉄の国」にするにはどうすればいいか。小栗は難解な方程式に挑むように、帰国後、孤独な闘いを繰り広げていく。
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