OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第39回 横須賀編【5】文・写真 藤野浩章
「八間(けん)か・・・。では隣を見ると致そうか。あの山の向うにも入江がある」(第五章)
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"大造船所"をどこに造るかは、かつて小野友五郎が提言した三浦半島横須賀村の貉ヶ谷(むじながや)湾(第32回参照)、隣接する横須賀湾がまず候補に挙がっていた。しかし加えて、1861年に完成して艦船の修理を行っていた長崎製鉄所を神戸に移転して拡張する案や、伊豆・戸田(へだ)港に建設するプランもあったのだという。江戸から離れた神戸や戸田だったら、あるいは日本の歴史が変わっていたかもしれないが、小栗は政治的な理由で決めたのではない。あくまでも実利で判断したのである。
建設決定のわずか3日後、仏公使ロッシュらとともに、小栗は幕府艦・順動(じゅんどう)丸で横須賀へ向かっていた。それはもちろん、実際に見て測量するため。何事も徹底して自分で検分しないと判断しないのは、まさに小栗の特長と言える。誰かに薦められたり、机上の計算のみでは動かないのだ。
船は横浜を出て南下し、野島、夏島を経て目的地へ至るが"貉ヶ谷湾"とは一体どこなのだろうか。本書にある「大地の鼻」「大山岬」「黒岩鼻」は普通の地図にはないが、横須賀市の都市計画図で見つけることができた。しかも大山岬の西側には「狢湾」の文字が・・・。現在は米軍浦郷倉庫地区にある小さな湾が、歴史的な舞台の1つになった場所だろう。しかも今もわずかに地名が残り、「軍港めぐり」から間近に眺めることができる。
測量の結果、水深は4間半(約8m)。大型艦を考えると倍は必要だといい、冒頭のセリフになる。こうしていよいよ、船は運命の地を目指す。
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