OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第40回 横須賀編【6】文・写真 藤野浩章
「では、横須賀湾に乾杯」(第五章)
◇
貉ヶ谷(むじながや)湾を後にし、順動丸は箱崎半島を回り込んでいく。現在は「新井掘割(ほりわり)水路」を通れば一気に行けるが、この近道ができたのは明治22年のことだ。
「奥深く入り込んだ湾を抱くようにつき出した二つの岬が、子に手を差しのべる母の懐を思わせる」と作者の大島が表現した横須賀湾。それを見たフランス人たちの目が、にわかに輝きだしたようだ。「フランスのツーロンによく似ている」というのだ。
仏南東部にあり、地中海に面したトゥーロン港。15世紀末に造船所が置かれてから現在に至るまで仏海軍の要衝として知られ、フランス革命時は若きナポレオンが名を上げるなど、たびたび歴史にその名が登場する。海上物流の要でもあり、地中海クルーズの拠点。温暖なリゾートエリアのど真ん中にある、フランス随一の港湾都市だ。
港のすぐ北にあるファロン山の展望台から撮った写真を見ると、横須賀港に実に良く似ている事に驚く。しかし考えてみれば、これは現在の姿。今から160年ほど前に「漁師の家が点在」するだけの場所にトゥーロン港を重ねたのは、フランス人のDNAの成せる技だったのかもしれない。
小栗の目にも良港に見えた横須賀湾。後に日本側で陸と海を詳細に測量すると、それは実証されることになった。専門家の話を良く聞き、データに基づいて「実(じつ)」を選ぶ仕事。彼が責任者だったことが、ここでも功を奏したのだ。
ついに建設地が決まったが、まだ最大の「壁」が立ちはだかっていた。莫大な建設費だ。
![]() |
|
|
|
|
|
|