東日本大震災の被災地で援助活動をしてきた横須賀市消防局の消防司令 山森 誠さん 久村在住 47歳
日頃の訓練がマンパワーに
○…先月11日午後2時46分、東日本大震災が発生してほどなく流れた映像で被災地の状況を知った。咄嗟に「呼ばれるな」と思った。最初の大地震から1時間半後、横須賀市消防局にも緊急援助隊派遣の要請があった。同7時45分、隊の第1陣が各消防署から駆けつけ、被災地に向けて消防車で出発。その隊との交代で14日早朝に第2陣として出立した。折しも福島第一原発の被害が伝えられていたため、横須賀市から放射線量を測る計器等を持参し、福島県境からは随時測定をしながら進んだ。若干の不安はあったが「これが仕事だ」との意志が先に立った。現場への使命感は、隊員達も皆同じだった。
○…「津波では本当に根こそぎ何も無くなるんです。道路の真ん中に家があって、どこから来たかもわからない。流されてきた人も身元を確認できない。そういった場面が至る所でみられました」と静かに語った。想定を超えた被害を目の当たりにし、「横須賀が津波に遭っていたら」と一瞬考えた。「災害が少ない地元で自分は安心ぼけしてなかったか」、省みて今後に生かす。
○…高卒後「体育会系の特性を生かして人の役に立てたら」と、市消防職員になった叩き上げの消防マン。就職後10年間はオレンジの服を着て特別救助隊員として人命救助に携わった。その後は消防学校の教官や出張所の消防隊員を歴任。現在は主に同職員の研修や、市の消防で必要な人員・機材を割り出して防災体制の在り方を企画するなど現場の後方支援を担当している。
○…阪神大震災以降、公助の限界が教訓になった。災害時は「自助・共助・公助」の3つが一体となって初めて対策ができるという。「私が出会った生存者の方は日頃から職場で津波を想定した避難訓練をしていたそうです。しかしあまりにも津波が来るのが速かったため逃げ遅れた方もいます。この震災を契機に、今こそ一人ひとりが『自分だったら』と見直すことが大事です」。
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