横須賀を拠点に活動する歴史サークル「湘南海援隊」(齋藤秀一代表)が市に働きかけ、坂本龍馬の妻・おりょうが暮らしたとされる市内2カ所に今月26日、案内板を設置した。
長く暮らした2カ所
龍馬が暗殺された後、おりょうは大道商人の西村松兵衛と再婚。「西村ツル」を名乗り、晩年を横須賀で過ごした。同サークルメンバーの吉田直弘さんは6年前、除籍簿の写しや古地図などを照らし合わせ、1874年から1906年にかけて住んだ4つの住居地を解明。最初に居住した根岸小学校近くの大津町、66歳で最期を迎えた米が浜通には葬儀場「おりょう会館」が建ち、どちらも記念碑や案内板がある。ただ、31年間暮らした深田台78、上町1の100付近には、住宅が立ち並ぶだけで、おりょうがこの地で過ごしたという事実を知らせるものは存在しなかった。
また、吉田さんたちは一昨年、おりょうにまつわるエピソードや近年の研究報告をまとめた書籍「まっこと面白き女 〜おりょう京都から横須賀〜」を発刊。市内4カ所の住居跡についても記載したが、読者から「どの場所だか不明」といった声があがった。
1100通の署名
そこで同サークルは案内板を設置するため、昨年2月から署名活動を開始。今年8月には全国から1100通が集まり、市に要望書を提出し、今回の設置に至った。
毎年10月上旬には、その生涯を偲ぶ「おりょうさんまつり」が開催されていたが、今年はコロナ禍で中止に。代わりに案内板を設置する時期をこれに合わせた。
齋藤代表は「案内板を立てて終わりではなく、今後も天真爛漫なおりょうの魅力を横須賀から発信していく」と話した。
実はこれ1枚だけ信楽寺に眠る生前写真
数年前まで「若き日のおりょう」としてたびたびメディアで紹介されていた数々の写真。近年の専門家による調査で、それらは全て偽物であることが証明された。
現在、唯一本物とされる写真は、海援隊士・安岡金馬の息子である秀峰が、おりょうを取材して書いた回想録「反魂香(はんごんこう)」を発行する際に撮影した晩年の姿が写る1枚のみ=上写真。大滝町にあった松岡写真館(2007年閉館)で1900年頃に撮られたとされ、おりょうが眠る信楽寺(大津)に所蔵されている。
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