ほぼ365日、野球漬けだった。旧久里浜高校で白球を追った高校時代。1年の秋から試合に出場し、遊撃手として守りの要を担った。
グラウンドでは懸命にプレーに向き合った。実力もある方だったと思う。「県内でも屈指の二遊間」とは当時の指揮官の評だ。だが、甘かった。何より自分自身に。
1年の冬、厳しい練習に堪えかね、グラウンドから逃げ出した。野球と決別する覚悟があるわけではなかった。仲間は何度も「戻ってこい」と言ってくれる。冬練を終えた翌春、部に戻った。
野球の神様は時に冷酷だ。一度そっぽを向くとそう簡単にはほほ笑まない。戻ってからというもの思うように感覚が戻らず、肩を痛めたことも重なりプレーの精彩を欠くようになっていた。
3年最後の夏、2回戦で当たったのは「平成の怪物」松坂大輔を擁する横浜高校。打者が放った三遊間の凡打を強打と思い込み、飛び込んで失策したのが苦い記憶だ。チームは5回コールドで敗れ、それが高校野球の終止符になった。
グラウンドに戻ってきたのは20代半ば。母校の恩師に「一緒に選手の面倒をみないか」と声を掛けられ、今度は指導者としてユニフォームに袖を通した。
なぜ厳しい練習を課されたのか。実力が勝っても背番号が良いとは限らないのか。選手時代には分からなかったことが身に染みて理解できた。今さらながら、本気になることの意味も痛感した。
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「一勝のために青春を捧ぐ」。前時代的な発想かもしれないが、野球に真摯に向き合い、心血を注ぐことが後の人生の財産になる。今はそう考えている。
元お笑い芸人という異色の経歴。大船高校(鎌倉市)に着任してから始めた、選手がコンビを組んで漫才ネタを披露する「O-1」は今や学校の名物に。「すべり慣れて、折れない心を養ってもらう」のが狙いだ。
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