三浦市の旧南下浦市民センターの敷地内にあった戦没者慰霊碑3基が、同センターの建て替えに伴い撤去されていたことが分かった。日露・日清・西南の3つの戦争で戦死した6柱と、建立に携わった地元有志の氏名が刻まれていた。市によると、発起人の末裔などに確認を取った上で2022年に取り払ったという。住民からは保存を求める声はなかったというが、一部の研究家からは「戦禍を伝える遺産を残す方法はなかったのか」との声も上がっている。
慰霊碑は高さ96〜112cm。西南戦争と日清戦争の石碑は1896(明治29)年、日露戦争の石碑は1936(昭和11)年に建立された。
同センターの敷地内には江戸時代に三浦半島警備のために置かれた軍政拠点「海防陣屋」の跡地があり、石碑は石垣で組まれた基壇の上に並べられていた。
南下浦町の歴史を研究する長島文夫さんによると、碑は元々、上宮田小学校の付近にあり、1938年に現在の場所に移設。78年に同センターが開設されてからは草刈りなどの定期的な清掃を通して市が維持管理を行ってきたという。
「歴史的価値低い」
市によると、敷地内にある海防陣屋跡の石碑は改修前に住民から「残してほしい」という要望が寄せられたため、建物の工事期間中は別の場に移し、完成後に元の場所に設置。一方、慰霊碑に関しては保存を望む声がなく、市が石碑の発起人の末裔2人に意思を確認したところ判断を委ねられたため、市教委や市議会議員、近隣の住民などに撤去の可否を問うたところ「残す」という声はあがらなかった。碑に関しての資料も少なく、市の担当者はこうした経緯を踏まえて「歴史的価値が低い」と結論付け、撤去に至ったという。
戦禍の生き証人
三浦半島に眠る戦争遺跡を調査し、講座やガイド活動に取り組む東京湾要塞研究家のデビット佐藤さんは「石碑はいわば地域の歴史の生き証人。特に西南戦争などは『こんな場所からも出兵があったのか』と学びの入り口にもなる。何とか残す方法はなかったのか」と市の対応に疑問を投げかける。近年は震災慰霊碑を保存する運動が全国で広がっているといい、「戦争慰霊碑も保存していく必要がある。一度なくなれば地域にひもづく戦禍の記憶も失われてしまう」と歴史遺産の管理体制に警鐘を鳴らす。
同市城山町には、戦病没者の慰霊碑や忠魂碑などが並ぶ「三浦市慰霊堂」があるが、市は「上宮田の地元の人に由来するものだったため、移設する考えはなかった」と話している。
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