OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第11回 対馬編【5】文・写真 藤野浩章
落ち葉が重なる急なアップダウン、深い森の変わらない景色、行く手を阻む無数の太い根--過酷な道のりは体力をどんどん奪っていく。
そもそも、人がいない。対馬は明治以来、旧日本軍が構築した砲台跡が30以上ある「要塞の島」で、史跡の一部は観光スポットになっているが、アクセスが悪いこちらを訪れる人はほとんどいないのだろう。結局最後まで誰とも会わなかった。それどころか、急にザザザという音がして見上げると、なんと至近距離に大きな鹿が走っている。まさか本物の"ヒグマ"は出没しないだろうが、そんな野生動物を見てますます不安になる。
こんな所にいきなりやって来るなんて、ロシアはしたたかなのか、それとも浅知恵なのか。いずれにしても、不安を煽るのには十分だ。と同時に"小栗は本当にこの道を通ったのだろうか?"と思った。
本書には、4月半ばに咸臨(かんりん)丸で品川を出港した一行は5月初めに府中湊に到着し「駕籠(かご)で島を横断」(第二章)して宿舎の寺に入った、とある。宿舎とされているのは、芋崎から少し離れた漁村、尾崎(おさき)浦。実はここには2年前にイギリス船が来航して大騒ぎになっていた。のどかな漁村が点在するこのエリアは、またもや国家的危機の舞台になったのだった。その渦中に駆け付けた小栗忠(ただ)順(まさ)。彼は到着した翌朝にすぐ芋崎(いもさき)の浜で軍艦を確認し、その足で乗り込んでしまう。そんな素早い動きができたのはもちろん、船を使ったからだろう。
悪戦苦闘しながら最後の急坂を慎重に下り、ロシア兵が造ったらしい石垣を超えると、突然、視界が開けた。芋崎の海は、絶景だった。
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