OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第23回 江戸編【1】文・写真 藤野浩章
1860年5月13日にニューヨークを出港した使節団一行は、大西洋からインド洋へと至り、9月28日に江戸に帰ってきた。行きと合わせ、日本人で初めてグルッと世界一周したことになる。
大役を成し遂げた彼らは国を代表するヒーローになるはずだったが、一行が離れていた間に国内の情勢はまさに180度変わってしまっていた。視察団を送り出した大老・井伊直弼(なおすけ)が8カ月前に「桜田門外の変」で暗殺されていたのだ。
天皇の許し(勅許(ちょっきょ))を得ずに開国を進めたことへの批判に加え、14代将軍家茂(いえもち)の就任をめぐるお家騒動、それに対する井伊による弾圧(安政の大獄(たいごく))----これに"攘夷(じょうい)を唱えない者は武士にあらず"という風潮が加わって、一行を歓迎するどころか「厄介(やっかい)者が帰って来てしまった」という雰囲気だったという。しかも視察自体を非難する声も高まり、メンバーはアメリカで得た知識や見聞を口にすることすら難しくなっていたのだ。
本書のストーリーに戻る前に、小栗が改革の舞台に躍り出た当時の、こうした雰囲気は押さえておきたいと思う。アメリカで見聞きした近代国家の姿と日本の未来について、視察団の誰もがそれぞれの立場で出来ることを熱く考えていたに違いない。しかし日本には、もはや別の国と言えるほど「外国憎し」「徳川幕府不要」という嵐が吹き荒れていたのである。
ところが、そんな世論に一人抗(あらが)い続けたのが、小栗忠順(ただまさ)だった。他の者と同様、長い物に巻かれるように口をつぐんでいれば、あるいは安泰だったかもしれない。しかし、そんなことには無関心な彼は、嵐の海に漕ぎ出していくのだ。
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