三浦の散歩道 <第21回> みうら観光ボランティアガイド協会
前回で述べた「北原白秋碑前祭」が去る七月十日に無事に開催されました。第三十五回目の「みさき白秋まつり」の幕開きです。「まつり」の趣旨の一文に「みさき白秋まつりは、この白秋の偉大な功績を末長く顕彰するとともに、ありし日の白秋を追慕するため毎年行うもの…」とあります。北原白秋は三浦三崎をこよなく愛した詩人で、三崎に滞在した時は、わずか十箇月程のことですが、自身の文学上で重要な転機を得たと言われています。そのことを示す、多くの展示物を見ることができるのが、「白秋記念館」です。現在は三浦市の教育委員会が管理をしていますが、年間二万人の人が北は北海道から、南は沖縄までの人が『城ヶ島の雨』の地を訪れています。建物はやゝ手狭な感じがしますが、入口を入って左手には舟唄(ふなうた)である『城ヶ島の雨』に関する展示があり、なかでも、「利久ねずみ」色の見本や、大きく人目を引くものに白秋直筆の掛け軸です。さらに、作曲者の顔写真や歌手の奥田良三直筆の色紙などが展示されています。また解説文の中で『城ヶ島の雨』を作曲した人が四人もいることが示されています。大正二年(一九一三)の梁田貞(やなだただし)をはじめ大正十三年(一九二四)の山田耕作、昭和三年(一九二八)の橋本国彦、そして昭和十五年(一九四〇)の小村三千三の各人です。その他、高木東六も曲を作っているように聞いています。なかでも、小村三千三は三味線入りの曲で一風変わった情緒をもった『城ヶ島の雨』です。この他、階段横の正面には、白秋が三崎滞在中に歩き回った「足跡図」が表示されていて、白秋の居住した「異人館」、「見桃寺」、「浜の家」や最初に訪れたとされる「真福寺」などが示されている他、油壺や八景原などで詠んだ歌などが書かれています。さらに、二階へ上がると推敲(すいこう)された自筆の原稿の写しが見られ、天才歌人の苦心さが理解できます。また三崎時代の夫人俊子さんの顔写真や南まり子の筆名で書かれた「白秋との思い出」のコピーもあります。また特筆すべきは、昭和十六年(一九四一)に見桃寺境内の歌碑を自ら除幕した折りの写真と記録が展示されているところです。また、白秋の食卓ということで、九州時代をはじめ、三崎や小田原時代と共に晩年になってからの食事内容が表示されているのも、お面白いことです。さらに変わったところでは、「水垂(みぞった)れの松」が枯れてしまったので、その幹をしばらく海水に漬けておいたものが置いてありますが、この木に夫婦(めおと)の蛇が宿っていたと言うことで、その夫婦仲の良さから「愛を招く」との縁起で、この幹に触れて願いごとをすると、恋愛の願いが成就するというので、傍らに「礼状」なども置かれています。恋の悩みのある方は白秋の歌を口ずさみながら、ぜひ記念館へお出掛けいただくのが良いでしょう。帰りには三崎白秋会が行っている絵はがきをはじめとするグッズを購入されるのも一興か、と存じます。
つづく
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