三浦の散歩道 〈第55回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
松輪には「稲荷社」が多いと聞いていたので、池田のお稲荷さんを訪ねてみようと思いまして、京急バス「松輪」の下り停留所で下車をして、郵便局の方向に歩いて行きました。出荷場の先きを右へ曲がって歩を進めますと、なんと個人の庭先のような所に出てしまいました。これはいけないと一息ついてしまいました。ふと、右手を見ますと、細い道が畑の方へ続いています。これ幸いと下っていきますと、雑草が生え身の丈の茅に覆われ、道の分別がつかなくなりました。
雑草に足をとられて、滑りそうになってしまい、手を伸ばしながらやっと踏みとどまって、下を見ると整った畑があり、その上側にコンクリートの道が見えてきて、視界が広がりました。そこでやっと、池田の稲荷神社にたどり着きました。左横は造成地で、上が畑になった所に「稲荷社」はありました。切妻形の瓦屋根で、社殿は新しく、朱色の鳥居を通り石段を七つ程上がった正面はアルミ製の両開きの戸と鈴の綱がり、両側は白く、周囲はグレーの壁になっています。誠にさわやかで、清楚な感じのする社殿です。
参詣を済ませ、隣の細長い倉庫にあたる建物の横に出てみたら、すぐ上がバスの通る県道であったのです。造成中のところを抜けると、やや幅のある道に出ました。県道脇に「新徳丸」と書かれた看板の下に出たのです。
県道を剱崎灯台の方へと歩を進めて「第9消防分団」の前を左前方への脇道に入り、畑の中を進んでいきますと、道の脇に3基の庚申塔が目に入りました。一番手前に「寛政元年(1789)の「庚申供養塔」と刻字された柱状形のもの。真中に文久3年(1863)の「青面金剛像」に日月、一鬼、二鶏、三猿の駒型。さらに、もうひとつは自然石で、ただ、「庚申」とのみ刻まれています。
そのすぐ横、鈴木さんのお宅の裏手に、朱塗りの稲荷鳥居が、両脇の大きな木の間に見えました。おそらく、これは個人の所有する、「稲荷社」であろうと思われます。この辺りは「南向」と呼ばれる地域でしょう。
再び「剱崎」バス停の近くに戻ってきました。松輪海岸へ向かう旧道への別れ道の処に「あまざけや丸」の看板の所を右へ入ると、すぐに稲荷鳥居が見えてきます。道のすぐ脇にせり出すように、鳥居と社殿が一体のように目に映ります。入口は格子戸になっており、屋根は切妻造りで小じんまりとした社殿です。近くの人に訪ねてみますと「八ツ堀の里」のお稲荷さんということでした。
今まで、大浦、田鳥原、房作、池田、八ツ掘と訪れましたが、さらに3カ所の稲荷社を訪れてみたいと思っています。
![]() 八ツ掘の稲荷社
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「チェルSeaみうら」徹底解剖6月21日 |
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