三浦の散歩道 〈第66回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
岩堂山には、かつて三崎砲台の観測所が設けられていました。ここで、敵艦船の方向、距離、速度などを測り、砲台に連絡するところでした。
東京湾口の防御と共に、横須賀軍港を守備する目的もあったのです。垂直基準型の八八式の海岸射撃具が設置され、コンクリート造りの外壁には迷彩塗装が施されていました。太平洋戦争末期には東京湾要塞重砲兵連隊が置かれ、半島南部の防衛拠点であったのです。立原正秋氏の小説『夏の光』に、次のように書かれています。
「岩堂山は、三崎と剣ヶ崎を結ぶ中間のやや北寄りにあり、海抜八十二メートルで、頂上に観測所があった。近くの野頓坊(のとんぼう)の谷に、昭和十三年まで三崎砲台とよばれた砲台があったが、現在ここは東京湾要塞重砲兵聯(れん)隊の本部になっており、砲はない。しかし砲台跡はそのまま残っていた。野頓坊の谷は西にくちを開いており、谷の入口を高いコンクリート塁で四つに区切り、四砲をならべていた。塁には地下道が貫通し、掩蔽壕(えんぺいごう)がつくられ、砲は東々北と西々南に配列され、首線は東京湾口に向けられていたが、しかし四周を砲撃できるようになっていた。砲台が築かれはじめたのは大正四年で、九年には七年式三十センチ長榴砲四門が据えつけられた。これはのちに地震のための損害を受けたりしたが、間もなく復旧した。しかし、昭和十四年の三月に、満州東寧の郭亮山砲台に四門が移され、三崎砲台は十八年には除籍されたが、建設物はそのまま残され、やがて東部二一二部隊の本部に使われだした」。
長々と引用しましたが、当時の三浦半島はどこも多くが、要塞地帯であったのです。この小説でも、主人公が城ケ島の砲台に着任する場面や六合に大隊本部倉庫があったことが書かれています。岩堂山から南の方向に風車が2基見えます。直線距離で8百メートル程でしょうか。「宮川公園」です。
通称「風車公園」と呼ばれ、風車の建設は、平成9年3月で、建設費は1基が1億3千万円、風車本体はデンマークのミーコン社製です。産業技術総合開発機構(NEDO)とアルココーポレーションの共同事業でつくられて、平成14年6月に日本風力開発株式会社の子会社三浦ウインドパーク(株)が所有していると言うことです。
風車の高さは50m、プレードの直径31m。総重量36t。風力3mで発電開始、14mから定格出力400KW(キロワット)(風に向かって歩きにくい程度)。風向で360度回転すると言うことです。公園内にはトイレもあります。前方の道路側に駐車場もつくられています。海側に設けられている展望台からの眺望も素晴らしく、直下に見える宮川湾も風情があります。
つづく
「チェルSeaみうら」徹底解剖6月21日 |
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