惨禍は、何も戦時中だけとは限らない。逗子湾を望む飯島崎の一角にあった沿岸防御の「小坪砲台」。終戦から2カ月が経過した昭和20年10月20日、旧軍に放置された砲台跡で、地域の子どもら10数人が犠牲になる爆発事故が起きた。
終戦後の安堵感が生まれつつある中での惨事だった。爆発音とともに砲台に繋がる壕からは炎と黒煙が噴き出し、逃げ惑う子どもたちや子らを探す大人たちで地域は騒然となったという。壕の内部には火薬類が散乱しており、「大人がロウソクを落とした」「子どもがマッチを擦った」とも。警察や市役所に一切の記録はなく、報道管制下で報じられることもなかったため、正確なことは分からない。公になったのは31年後の昭和51年。外務省が公開した戦後外交機密文章で、記録が明らかになってからだ。
それ以前に事故の様子を物語にした本がある。「砲台に消えた子どもたち」(昭和48年刊行)。市内在住の児童文学作家、野村昇司さん(82)が地元への聞き取りを元に自らの体験を重ね合わせて1冊にまとめた。野村さんは亡くなった子どもと同世代でもある。「戦争が終わったのに多くの子どもの命が失われた。戦争を知らない世代の人にも知ってもらいたい」と今も講演などを通じて、取材で知った当時の様子を伝えている。
砲台入口は事故後封鎖され、現在は当時の様子をうかがい知ることはできない。事故を直接知る人も今やほとんどおらず、小坪地域でも風化が進む。「誰も語らなければ歴史の中で『なかったこと』になってしまう。戦争や平和のあり方が議論されている今、もう一度戦争の爪痕を見つめなおしてほしい」と切なる願いを言葉に込めた。
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