三浦の散歩道 〈第105回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
国道134号線、三崎口駅方面から「七曲(まが)り坂」を下(くだ)って「初声小学校前」の信号がある交差点近くに、昭和三十年代頃、「ドライブイン」があったと記憶しています。その裏手に「初声八景」を記した『道しるべ』の碑がありました。大正十一(1922)年三月に「初声村史蹟名勝保存会」が建立したもので、碑の上部に村内の史跡が東西南北の方向と共に距離までも記されていました。
「東 猫石園七町・宮田貞明館址十町」、「西 義盛井并旧里碑七町・和田城址十町」、「南 延寿寺開山栽五町・三戸友澄墳墓十八町」、「北 涌井戸十三町・高円坊朝盛塚十五町」などです。なお、一町は約百十メートルの換算になります。「猫石園」までは東の方面に約七百七十メートル程の距離にあるということです。
旧蹟名の下に「初声八景」が記されています。「長浜晴嵐」・「黒崎夕照」・「矢作帰帆」・「波島の夜雨」・「若宮秋月」・「新田落雁」・「実相寺晩鐘」・「円山暮雪」の八景です。
今回は八景のうち、「若宮の秋月」を選択して、初声小学校の校庭に隣(とな)りした「若宮神社」を訪ねてみます。
この神社の祭神は「大鷦鷯(おおさざきの)尊(みこと)」と言う名で『日本書紀』によれば、在位八七年に仁徳天皇で、その治世は大和朝廷の最盛期にあたり、農業の奨励や開拓事業に力を注いだ天皇として知られ、父は八幡社の祭神である応神天皇です。そのためか、「若宮」と呼称されるのでしょう。
相(あい)殿(どの)と言って、同じ社殿に二柱(ふたはしら)以上の神を合祀(ごうし)することですが、ここ若宮神社では、三つの社(やしろ)を合祀しています。一つは「神明社」で、祭神は「天照大神」です。他に「稲荷社」、祭神は「宇迦之(うかの)御魂(みたまの)命(みこと)」と「山王社」で、祭神は「国(くに)常(とこ)立(たちの)尊(みこと)」等々です。
この若宮神社が何時ごろこの地に勧請されたのかについて、昭和十年の発行になる『三浦郡神社由緒記』に「当社は永正二(1505)年三浦導寸北条早雲の合戦の際兵燹(へいせん)(註 戦争のため起こる火事)に罹(かか)って社宝記録一切を焼失したので由緒沿革を知るを得ざるも、往昔は宮田郷の総鎮守であった」と記されていますが、前回に述べました「実相寺」の文章に「村中惣鎮守鎌倉由井郷正八幡宮之若宮ヲ勧請仕奉崇敬候」とあります。油井郷に八幡宮があったのは、頼朝が鎌倉に入りした治承四(1180)年に現在の地小林郷に移していますから、この年よりも以前に、宮田の地へ勧請したことになります。
神社のある位置は「神田」と言われる所と「入江新田」に接している所で、潮入の沼沢の中に島のような姿で見られています。下宮田字後田という地にあるのです。(つづく)
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