今月7日、開業50周年を迎えた京急「三浦海岸」駅の駅長を務める 太田 芳孝さん 晴海町出身 54歳
皆に愛される”赤い電車”に
○…三浦市民に欠くことのできない生活交通・京浜急行線。今日ではアイデンティティーの1つと言っても過言ではない、赤い電車が三浦の地にやってきて、今年で半世紀。記念すべき節目の年、地元駅の駅長を務めることに「感慨深い」と目尻を下げる。三浦海岸駅を含め、三崎口・津久井浜・京急長沢の4駅28人の駅係員を指導・監督する立場として尽力。「この先も乗って良かったと思われる、地域密着の鉄道会社に」
○…初めて電車に乗った日の思い出は、色褪せることなく覚えている。「中学生の時、友達同士で横須賀中央のさいか屋へ遊びに行きました」。隣の市とはいえ、三浦半島の突端、晴海町からの外出は小さな冒険のようで、ドキドキと少年の胸を高鳴らせた。横須賀市内の高校へ進学し、それまで主要な交通機関だったバスに替わって毎日の足として利用するようになると、次第に運転士への憧れを募らせていったという。
○…高校卒業後、18歳で京浜急行電鉄に入社。駅員や車掌業務などを経て、24歳の頃に念願だった夢を叶えた。「研修を終え、独り立ちした時は感動でいっぱいだった」と、初めてハンドルを握った当時を回顧する。と同時に、ラッシュ時には1千人以上の乗客の生命を預かるプロとしての責任や緊張感が大きくなったのもこの時だった。「運転士は背中で安心感を与えるもの」。代々受け継がれてきた社風が、仕事への使命感を駆り立てた。
○…駅務室には各々の駅長指針が掲げられており、自身は「元気」の二文字を選んだ。シンプルな言葉だが、その裏には「笑顔で誠実に接し、親切な応対をすることで責務が達成できる。そのためには、心身が健康で、明るく活気のある職場でなければ」との思いを込めた。駅長の任を受けて約3年半。自らも率先して周囲に声掛けをするなど日々奔走。陰となり日向となって、皆に愛される駅づくりをめざしている。