三浦の散歩道 〈第130回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
「高円坊」の地域について、『三浦古尋録』の乙本と言われる中に「此村ハ武山ノ南ノ方ノ麓ナリ武村須軽谷村高円坊村此三ヶ処浦ナク山家ナリ」と記されています。海辺ではなく、山間の村なのでしょう。中でも「塔の台」と呼ばれる所に「日枝神社」があります。昭和十年発行の『三浦郡神社由緒記』によりますと、村社として祀られ「初声村高圓坊大井戸鎮座」とあり、祭神は「国常立尊」で、相殿に「天照大神・宇迦之御魂命」と記され、例祭は十一月一日として、祭神について「国常(くにとこ)立尊は官幣大社(明治に制定された社格の一つ)日枝神社に相殿の神として奉斎せられてある。神代七代の最初に生れ出で給ひ万物の元霊に坐します。」と書かれています。神名の意味は、クニを美称、トコタチを大地(土台)が出現する意や、クニを国土、トコタチを永久に立ち続ける意として、国土の永遠の安定を祝福する意がこめられている。とのことです。(『日本の神々事典』より)
文禄年間(1592年〜95年)川名利左衛門創立と伝えらるるのが当社の由緒で其の外(ほか)は詳かでない。と記されています。さらに、『由緒記』に、「社殿は緑樹蒼然と森をなし、地名を取って大井戸森と称してゐる、附近に朝盛塚記念碑がある。風樹間を鳴して往時を語るが如きものがある。」とも書かれています。
『三浦古尋録』では「鎮守 山王権現ノ社」とあります。日枝神社については「山王社(さんのうしゃ)」・「日吉(ひよし)神社」とも呼ばれ、全国に約3800社を数えるとのことです。もともとは天台宗の寺院の鎮守として勧請されたと言うことです。
高円坊の「日枝神社」の古い写真を見ると、木造りの神明鳥居が写っていますが、現在は石造りの立派な明神鳥居になっています。
以前、神社の前に笠付の見事な庚申塔がありました。今、手元に『はっせ』と表題された「初声中学校」の「創立30周年記念誌」があります。「年金組合」の先輩から借りたままになっているのですが、その中に次のような一文が載っていますので、書写してみます。
「高円坊日枝神社前の畑の中に一基の笠付の見事な庚申塔がある。主尊は真言梵字、塔の高さは百五十三センチ、柱の巾四十一センチ、台座は蓮華の反花、実に堂々たる塔である。銘文は『寛文八年(一六六八)三月』施主名は碑の両面に計二十八名の名が連記されている。しかも全部苗字がある。(後略)」
惜しいことに、この庚申塔が見当らないのです。よく見ると、草むらの中に石塔らしきものが見えるのみです。風雨の為に倒れてしまったのであろうか。実に惜しいことです。ぜひ、再建をして欲しいところです。
この辺りからの眺望もすばらしいものです。
(つづく)
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