東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜 文・日下部順治その15 在りし日の思い出の記【2】
前号つづき【三浦市内在住・團勝磨の教え子からの、都立大学時代の「思い出の記」後編】
「團先生は私の東京都立大学在任中は発生学教授で、その間に大学総長になられましたが、そんな職務は厭だ厭だと盛んに不平をいっておられたのをよく覚えています。
当時私は東京に住んでおり、油壺へは横浜駅から30分おきに運転されていた三崎行き急行バスを使ったものです。電車よりずっとはやくて安く、とても助かりました。
実験はもちろん全てやがて取り壊されると報じられていた建物で行い、宿舎は荒井城跡にあった和風建築。周辺は堀跡に囲まれていました。
火事で焼けてしまった團先生の私邸もよく訪れさせて頂きました。
ウニを育てるには新鮮な海水が必要なので、船にタンクを積んでよく沖まで一人で取りに行ったもので、それで和船の漕ぎ方も覚えました。
水族館も小学校の遠足で訪れたことがあり、中は暗くて陰気でしたが、入口前の水槽にいた大きなウミガメが今でも印象的です。
ところで比較的最近、團先生の御著書(團勝磨ウニと語る)を古書店から取り寄せましたところ、驚いたことに團先生自筆の「謹呈」の文字が記されていたので大変驚きました。謹呈先はやはり私も遺伝学の講義を受けた森脇大五郎先生(後に国立遺伝学研究所の所長)となっています。どちらも大学者ですが、森脇先生がお亡くなりになったときにでも遺品整理として処分された品が回り回って私の手許に来たのかと思うと不思議な巡り合わせだと思っております。」
(つづく)
教え子が語る勝磨とジーン
団勝磨の都立大学時代の教え子で、市内在住の吉本尚さん=写真中央=を囲み、「團勝磨とその周辺の思い出」と銘打った勉強会を先月13日に行いました。
「へそ曲がりで、型破りな人だった」。勝磨との出会いを振り返り、往時の思い出を語っていただきました。
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