県立三浦初声高校と市内金田の農家が共同で、在来種の三浦大根の復活に取り組んでいる。約50年前、生産性や流通効率向上などを理由に、一度は姿を消した在来種を再び栽培。将来的に地元生産者への普及をめざしており、地域農業の活性化につなげようと、安定的な栽培方法の研究を行っている。
「市場出荷された三浦大根(交配種『黒崎三浦』)が、生理障害によって黒く変色し、商品にならず廃棄されたというニュースがきっかけになった」と話すのは、復活プロジェクトに取り組む同校園芸科学科の米山颯(さつ)葵(き)さん(3年)。変色被害は農家に大きなダメージを与え、農協が共同販売を取りやめたことなどが要因となって生産が急減。もともと大根総出荷量の1%に満たない希少野菜だったこともあり、米山さんは三浦大根の衰退に危機感を持ったという。
地元生産者の話では、およそ50年前まで在来種が存在。現在の交配種にはない味の良さと、煮崩れしにくく、病気・生理障害にも強い三浦大根が広く栽培されていたと知った。「『昔はもっといい大根があった』と聞き、復活できないかと考えた」と話す。
500本を収穫
かつては各農家で交配・採種していたが、すでに生産が途絶えて半世紀。種子を持つ農家はいなかったが、農業や食料などの研究開発を行う「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構」(茨城県つくば市)で、種子を保存していることが判明。40粒を譲り受けた。
まずは種子を増やすため、校外研修先だった金田の三富農園に指導を仰ぎ、人工授粉による交配に取り組んだ。発芽確認試験では、約9割が発芽し、間引いた約20株の苗の植え替えにも成功。授粉した全てに種がついた。昨年10月には、これら採取した“2代目”の種を畑にまき、今月7日、約500本を収穫した。形状に多少のバラつきは見られたものの、概ね重さ3〜4kg、長さ40〜50cmと出来は上々。「みずみずしくて甘く、とてもおいしかった」と米山さんは喜び、三富農園の三富健斗さんは「知らないことも多く、ためになった」と振り返った。
同プロジェクトには、青果物卸売会社「横浜丸中青果」(横浜市)も賛同し、今月9日から3日間、横浜市内のスーパーマーケットで販売したところ完売。来シーズンの販路拡大も視野に入れているという。
次年度は2年生の池田龍平さんがプロジェクトを引き継ぎ、2人は「在来種の生産が地域活性化につながれば」と期待を込めた。
台風で青首主流に
三浦大根は高円坊大根と練馬大根が交配して生まれた品種で、江戸時代後期から栽培されていた記録が『相模風土記』にも残っている。現在の「三浦大根」の名がついたのは大正時代と言われ、以来、長く特産として親しまれてきた。
しかし、1979年の台風20号で三浦大根栽培は甚大な被害を受け、畑は壊滅。代替の作物として当時、作付けが広まり出していた青首大根の種をまき直したところ、栽培の容易さ・多収・収穫の効率化などが好評となり、瞬く間に拡大。急速な普及を遂げた。
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