いくつになっても年齢を感じさせない元気な人たちがいます。いつまでも若々しく、人生を楽しむ秘訣を聞きました。
70年余り伝統の祭りを支えてきた3人
「エーエイ、ホーンヤーエー」――。三崎・海南神社夏例大祭の屋台骨を支え、成功へと導こうとする男たちがいる。この夏「神輿番」を担当する西海上区の山田勝さん(78)、湊不二雄さん(76)、水上俊郎さん(73)。「祭りのない人生なんて考えられないよ」。ひとたび法被を羽織れば、いぶし銀のような威厳と精悍(せいかん)さを感じさせる。
あふれる感情、旋律に乗せ
いずれも西海上区の漁師の家に生まれた生粋の”三崎っ子”。
「名木遣り師」と評判だった父親の背中を見て育った山田さんは、7歳から山車に乗り込み、太鼓を叩き始めた。「3度の飯より祭りが大好き」と自負するように、囃子方長として活躍。現在は囃子団体「楽囃会」で、後進育成に力を注ぐ。
境内からこぼれ落ちた祭囃子の音色は、庭木を縫うように下町全体に響く。「これが子守唄だった」という湊さんは、3歳からユニークな面をかぶって踊る「いなりっこ」の舞台に立ち、13歳で大人の神楽師に仲間入りした。面神楽保存神楽師会や魚河岸木遣師の会長などを歴任。今なお献身的な活動に取り組む。
水上さんは、10歳でいなりっこを経験。西海上区の区長を務める傍ら、いなりっこ保存会の会長や氏子総代など忙しい日々を送り、伝統行事の運営に携わっている。
物心ついた時から共に過ごしてきた仲。水上さんは「切っても切れない縁」と白い歯をこぼす。
時代の変遷
かつて祭りの主役は漁師だったという。
「大酒飲んでも酔いつぶれないで神輿を担いだんだから、昔の人は強かったんだね」と山田さん。「いたるところで大げんか。先輩方は恐かったけれど、それだけ本気で取り組んでいた証。命懸けだった」と水上さんは当時の光景を昨日のことのように覚えている。
昨夏、4年ぶりに行われた例大祭。行道面の先頭で太鼓を叩いた湊さんは「コロナ禍はうずうずして堪らなかったから気持ち良かった」と振り返り、入舩区で囃子を手伝った山田さんも「もう最高」と合わせる。
ただ、人口減少という課題にも直面。一人また一人と若者がまちを去っていく。「神輿の担ぎ手や木遣り師、囃子方も以前は男性陣しかいなかった。今は女性も多い。人がまかなえないから、各地区を越えて助け合わなければ、古き良き伝統を残していけなくなった」と湊さんは変化の大きさを痛感せざるを得ない。
水上さんは「下町それぞれの地区で神輿の練りや差し、囃子のリズム、木遣りの唄い方など微妙に違う」としたうえで、「でも、それぞれの個性を出していけばいいと思う。一人ひとり楽しまなきゃ祭りじゃない。非日常的な行事。終わりを惜しむ子どももいる。今や例大祭は参加する全員が主役」と強調。「祭りがあるから地元に帰ってくる子もいる。それでも良い」と山田さんは笑う。
本番にかける思い
「雨が降らなければいいけれど」。手帳をめくり、例大祭が挙行される7月13日(土)・14日(日)のページに目を落とす湊さんは今夏、祭礼委員長を務める。「多少プレッシャーはあるけれど、人生一度きりの大役。とっくに準備に取りかかっているよ」と気合十分だ。
心と心がぶつかる迫力と臨場感。脈々と築かれてきた歴史を継承する三崎の住民たち。「例大祭があるから元気でいられる。歩けなくなるまでやるよ」と声を揃える3人。70年余り地元の祭りに参加してきた同志の間には深い理解が生まれ、いつまでも強い絆で結ばれているに違いない。
三浦版のローカルニュース最新6件
「チェルSeaみうら」徹底解剖6月21日 |
|
|
|
|
|