三浦の散歩道 〈第102回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
入江の道を国道へと向かって歩を進めて行きますと、右側に洒落た建物があり、そこの窓に「ギャラリー&ティーサロンなごみ」の文字が見えます。この店の御主人飯田氏はなかなかの行動家で、この入江の地区を発展させたいとして活動をし、最近「うぶごえ」のグループ名をもって、近くの大型店に農家の野菜などを販売するなどの動きをしているとのことです。
「なごみ」辺りから左側を眺めると柵の向こうは、かつての入江を埋め立てたところが、荒野のように見渡せます。昔、小島であった「波島(はしま)」が、うら淋しげな森の如くに見えるのは、哀惜の情のなせることなのでしょうか。
やがて、右側に駐車場と思われる広場にやって来ました。右手へ行く狭い道の際(きわ)に「大黒天」と記された赤い旗が見えてきました。その手前に「三浦黒辺稲荷大明神」、「寿福山延寿寺入口」と書かれた縦長の表示板があります。その道へ入って百メートル程の所に寺があります。日蓮宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏。開山は日範上人で、延慶二(1309)年に創建されたということです。この方は一二四歳の長寿で入寂されたところから、長寿に因んで「延寿」の名称を得たと言われています。
入口近くの「南無妙法蓮華経」の名号塔に記されている年号は「貞享三(1686)年丙寅」とありますから、俳人の松尾芭蕉が活躍した頃で、五代将軍綱吉の時にあたり、「生類(しょうるい)憐みの令」が発令された頃のものでもあります。
境内には、樹齢約600年、樹高18メートルの「梛(なぎ)」や、樹齢約300年、樹高20メートルの「公孫樹(いちょう)」など、三浦市の保護樹木があります。さらに、境内の中心に「宗祖降誕七百年記念」としての「開山日範上人手栽松」と称する「松」があったのですが、現在では枯れて根ばかりになっていますが屋根をつけ、大事に守っています。
寺の駐車場にある案内板には、次の事項が記されていました。「子育鬼子母尊神」(鬼のつのに当たるのか最初の一画がなく、鬼になっています)・「三浦七福神大黒天」・「黒辺稲荷大明神」・「干支(えと)守り本尊文殊菩薩」・「東国花の寺」・「秋の七草寺」等々です。
「鬼母神」は関東三鬼子母神(東京雑司谷・千葉中山法華経寺・ここの宮田の鬼子母神)の一つです。七福神の「大黒天」は寺の守護神として、生産豊饒の神です。ここの像は文化年間(1804〜17)に日龍上人が一刀三礼のもとに彫られたものと伝えられています。「黒辺(くろべ)稲荷」は本堂の裏山の最も奥に祀られています。黒崎の野辺に祀られているので、この名称なのか?以前、『三崎郷土史考』(内海延吉著)では、「黒壁(くろべ)稲荷」と表記しています。そして建立は、矢作(やはぎ)の円徳寺の「赤壁稲荷」と城山の「白壁稲荷」と共に、大乗寺の開基日乗が文化年間(1804〜17)であろうと、浜田氏の調査をもとに記しています。
(つづく)
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