1950年7月に横須賀市から分離独立した逗子町(現逗子市)。当時の歴史を後世に伝えようと、長年語り部として活動している人が桜山にいる。独立運動の母体となった「逗子独立期成同盟会」副会長だった山口茂さん(89)。当時の経緯を克明に知る、今では唯一の生き字引だ。毎年運動を風化させないため独立日に合わせた記念講演会を開いており、激動の歴史を今に伝えている。
「人口が増えれば町は市になる。でも逗子は自然になったんじゃない。住民が自らの力で勝ち取ったんです」。山口さんによると戦時中の1943年、逗子町は軍事上の指令を一本化する海軍の方針で、住民の意志を問わないまま横須賀市に強制合併され、「横須賀市逗子町」になった。
戦後、国は合併された町村が住民の意志で分離できる法律を2年間の期限付きで公布。これを受けて2度の住民運動が起きたものの、当時戦後の混迷を極めていたこともあり、いずれも頓挫。期限まであと9カ月と迫った時、立ち上がったのが町の若者たちだった。
「これが最後。やれるだけのことをやろう」。23歳で町の青年団長を務めていた山口さんは49年11月、地元医師会や住民有志らと同盟会を結成。悲願達成に向けて3度目の挑戦が始まった。
独立分離するための法的ハードルは、有権者の3分の1以上の賛成署名、住民投票で半分以上の賛成、県議会で賛成の決議―の3つ。横須賀市側は分離を阻止しようと市議会が全会一致で反対の決議をしたが、同期成同盟会は規定の賛成署名を集め、住民投票では8割近い賛成票を獲得。残る県議会では独立派と反対派による陳情合戦が繰り広げられたが50年5月、賛成29、反対24、無記名1の僅差で可決され、同年7月1日、ついに独立を達成した。
「衣食住さえままならない時代に自分たちでまちを良くしたいという一心で独立が叶った。逗子には自主自律の精神が根付いている」と山口さんは回想する。あれから67年。運動の中心人物はすでに他界し、残るは山口さんだけになった。現在は「逗子独立奉賛会」の会長を務め、年に一度の講演を行うも、今年7月には卒寿を迎える。「語る者がいなくなれば歴史は忘れ去られてしまう。だから1人でも多くの人に知ってもらいたいんです」。切なる思いを言葉に込めた。
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逗子独立奉賛会のよる講演会「逗子独立運動の歩み」が7月2日(日)、逗子文化プラザさざなみホールで開かれる。午後6時から。入場無料。男声合唱団「フィーリング」によるミニコンサートもある。問合せは同会【電話】046・871・5240
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