亀岡八幡宮 歴史と人びと〈第2回〉 応神天皇と獅子頭
逗子市の中心部に位置し、市民の憩いの場としても親しまれている亀岡(かめがおか)八幡宮は2019年4月、改築から100周年を迎えます。このコラムでは、氏子会の皆さんのご協力のもと、その歴史や関わる人々を紹介します。
亀岡神社の歴史については、はっきりわからないことが多い。それは、神社の資料を保管していた延命寺が明治29(1896)年に起きた大火災で鐘楼を除いて焼失し、資料も失われてしまったからだ。
こうしたなか、社務所の奥に眠っていた縁起書を見つけたのは約20年前のこと。
そこには亀岡八幡宮は第15代応神天皇をお祀りしているとある。応神天皇は誉田別尊(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、「八幡さま」として広く親しまれており、「文武の神」としても知られる。大分県にある宇佐八幡宮を総本社とし、分社は全国に2万あまりにのぼるという。近隣では鶴岡八幡宮が有名だ。
その一つである亀岡八幡宮の特徴として獅子頭があげられる。その数19体。正面向拝の柱に設置されているのは、他の神社でも見られるが、社殿を取り囲むように軒まわりの柱にも設置されている八幡社は県内でも珍しい。正面向拝柱の2体を除いた17体には、腹に奉納した世話人の名前が彫られている。 (続)
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