春夏合わせて5回の甲子園優勝に導いた横浜高校野球部の渡辺元智前監督。そのもとでプレーした元球児が葉山町にいる。7月に開かれる神奈川県予選にあわせ、2人に当時の話を聞いた。
「目標があったから」
長谷川邦夫さん(堀内在住・64)は、渡辺監督が就任して3年目の春に入部した。
葉山中学でピッチャーとして活躍していたところをスカウトされ、中学3年末には先輩たちに混ざって大島合宿へ。「それはもう、つらかったですよ」と邦夫さんは笑いながら振り返る。当時の監督のモットーは「ライバルに勝つために、どこよりも厳しい練習を」。鉄拳制裁は当たり前。練習中は水も飲めなかった。
入部当初50人いた部員は3年生になると11人に。それでも邦夫さんは外野や内野など様々なポジションにつきながら活躍した。「監督は勝利に対する執念がすごかった。厳しさの中にも愛があり、自分も甲子園出場やプロになるという目標があったから続けられた」という。甲子園には惜しくも行くことはできなかったが、2学年下の後輩たちが春の選抜大会初出場、初優勝という偉業を達成する。
「人生そのもの」
同じく葉山中学で野球をしていた長谷川忠治さん(一色在住・59)はその時の横浜高校の活躍を目の当たりにし、同校への進学を決意。当時すでに強豪校として知られており、忠治さんは野球推薦ではなく一般試験を突破し、入部した。
監督にアピールする千載一遇のチャンスをものにし、1年の秋から強打者としてレギュラーに定着。夏の甲子園出場の夢はあと一歩の所で叶わなかったものの、東海大相模高の原辰徳ら名選手たちとしのぎを削った。
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邦夫さんはその後、学業に励み一般入試で大学へ進学。その後金融機関に就職し、現在も勤務する。忠治さんは大学、実業団でも野球を続けた後、実家の長谷川工務店を継いだ。
高校野球の経験があるからこそ、今の自分があると語る2人。気合や根性が敬遠され、効率的で科学的なことが優先される時代の流れについて「今だったら同じことはしちゃいけない」と口を揃える。しかし、「あの時経験したことやつらかったこと、学んだことがその後の人生で何度も助けてくれた。目標に向かって頑張ることは、必ず次につながる」と笑顔で語っていた。
![]() 3年生の夏、鎌倉学園戦で打席に入る忠治さん
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