文化やスポーツなど、多方面で活躍し続けるプラチナ世代は藤沢市内にも多くいらっしゃいます。今回は2人にお話を伺い、セカンドライフを応援するお店や施設などをご紹介します。
※プラチナ世代とは、作家・渡辺淳一さんの造語で、元気で行動的な高齢者のこと
藤沢を中心に、鎌倉や茅ヶ崎、箱根などの人や出来事、店舗の情報に加え、地元に縁ある作家のエッセイなどを紹介する季刊タウン情報誌『湘南百撰』を手掛ける。92歳の今もなお、思いつく誌面上の企画やレイアウトのアイデアをスタッフに提案して形にし、読者のもとへ「生活の潤い」として届け続けている。「全ては、どんなことでも快く、懐の深い皆様に支えられてきたからこそ今がある。感謝の心でいっぱい」と微笑む。
きっかけは本田宗一郎氏
生まれは北海道、その後秋田や静岡などを経て、およそ50年前に藤沢へ。移り住むきっかけとなったのは、浜松で割烹旅館や喫茶店などを経営していた当時、常連客であった本田技研工業(株)(HONDA)の創業者である本田宗一郎氏の一言だった。『靴を脱がず、千円を持っていけば物が食べられるような店が流行る時代がすぐにやって来る。これから街が大きく発展する藤沢に店を出すと良い』。後押しを受け、従業員ととともに居を移した。
タウン誌へのあこがれ
昭和中期、まだ一般的ではなかったタウン情報誌を初めて手にし、強いあこがれを抱くようになったという。「街の人たちの協力をもとに街の魅力を無料で紹介し、エッセイコーナーでは向田邦子さんなど後に有名になる作家を世に送り出すなど、タウン誌は文化そのもの。いつかは自分の手で作ってみたい」
1970年、読売新聞の元編集長ら3人で『湘南百撰』の前身となる『藤沢風物』創刊を目指して始動。フリーペーパーの概念もまだ世間に浸透しておらず、スポンサー集めにも骨を折り、1年半かけて発刊にこぎ着けた。「創刊号を手にした時の感動は言葉にできないほど。多くの方々のご縁に支えられていると強く感じた」と振り返る。
出会う人全てが師
その後『湘南物語』と変遷を経て、2009年に現在の『湘南百撰』として再出発を切る。誌面を作る上で気を付けていることは「スマートに、中身を濃く、薫り高く」という。現在も経営者として6人のスタッフに混じり、同業他誌や新聞、書籍などからヒントを得て「泉流」にアイデアを企画として表現する。「この誌面を通じて新たな出会いをいただき、それが張り合いになっている。出会う人すべてを人生の師として日々勉強させてもいただき、本当に幸せ。生きている限りこの『湘南百撰』で小さな文化を育んでいきたい」
元気の源は藤沢の街へ1人でふらりと繰り出し、カウンターでたしなむ赤ワイン。「カウンター越しに聞こえる食器や調理の音が、飲食業をやっていた懐かしい思い出をよみがえらせる」。周囲からは「誰にでも謙虚な態度で接し、相手の良いところを見つけ出して褒めて下さる」と慕われ、品性がにじみ出ている。今日も薫り高く文化を育む。
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