鵠沼にゆかりが深い画家で、フレスコ画の先駆者として知られる長谷川路可(1897―1967)。その知られざる作品に、このほど新たな命が吹き込まれた。鵠沼郷土資料展示室の内藤喜嗣さん(84)の協力で復元が実現。現在同展示室でお披露目されており、内藤さんは「鵠沼の誇りである路可の作品を後世に残したい」と話している。
長谷川路可は東京美術学校(現・東京藝大)で日本画を学び、1923年に渡仏。本格的なフレスコやモザイク画を日本に伝えた。また少年時代は鵠沼で過ごし、帰国後10年間も鵠沼にアトリエを構えた。
復元されたのは「旭日富嶽図」(縦約1・2m×横約2・4m)と題された大作。雲海から雄大な富士山がそびえ、雲の合間から太陽がのぞく。
制作は1942(昭和17)年。かつて東京都港区にあった東京府養生館国史絵画館の壁画として描かれたが、戦後老朽化し、94年に建物が解体される時、はく離させた状態で保存。その後行方が分からなくなっていた。
きっかけは一昨年末。路可没後50年の会合で、遺族から旭日富嶽図が見つかったことが明かされた。だが作品は劣化が著しく、修復には専門技術と多大な費用を要する。
内藤さんが市に引き取りを働きかけるも調整がつかず、「ならば自分で」と援助を申し出た。昨年8月から専門家の協力を得て、修復作業を開始。8カ月かけて復元を実現させた。
会期後市に寄贈へ
24点の路可作品を所蔵する市も現在市アートスペース(辻堂神台)で企画展を開催中。学芸員の喜多早菜江さんは「フレスコ画はいずれ建物ごと取り壊される宿命で、保存には作品に思いを寄せる人の熱意が不可欠。何十年経ても作品がよみがえる好例」と話す。
「復元から展示までを市民が行っていることに意味がある」と同資料室運営委員長の中島知子さん(90)。内藤さんは「知名度こそ低いが、日本の美術界に多大な貢献をした偉人。鵠沼の誇りを多くの人に知ってほしい」と話した。
同展示室(鵠沼市民センター内)の展示は12月25日まで。会期後、作品は遺族の承諾を得て市に寄贈する方針という。
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