
72年前、下馬評を覆す逆転劇の連続は、世間を驚かせた。創部わずか4年目の湘南高校野球部が第31回全国高校野球選手権に初出場し、神奈川県勢として初めて優勝したのだ。深紅の優勝旗が箱根の山を超えるのは33年ぶりの快挙で、新聞は「無欲の勝利」と称賛した。当時のメンバーで卒業後はプロ野球選手、解説者として活躍した佐々木信也さん(87)に振り返ってもらった。
「今でも信じられない。甲子園に行くだけでも大変なのに」。まさに奇跡の連続だった。
1949(昭和24)年、県予選にシード校として出場した湘南は、初戦の鶴見を13対4の大差で破ると、勢いそのまま続く横須賀、逗子開成に快勝。決勝では神奈川商工を3対1で下し、破竹の勢いで神奈川の頂点に上り詰めた。
初めて甲子園に足を踏み入れた瞬間をこう振り返る。「ぞくぞくしたね。何とも言えない雰囲気」。だが、それは序章に過ぎなかった。
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敗戦から4年後、戦争の傷跡が残る中、練習環境は決して恵まれてはいなかった。「ボールの糸がほどけると手分けして授業中、机の下で縫うんですよ。バットもヒビが入るとテープを巻いて折れるまで使った」
練習場所はサッカー部と供用。外野にサッカー部員がはみ出してくることもしばしばで、その中には1年上で元東京都知事の石原慎太郎さん(88)がいた。「こっちに背中を向けて練習してるから、一発当ててやろうと。あいつのおかげで右打ちがうまくなった」と笑う。
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熱闘の記憶は鮮明だ。開幕した甲子園、1年生だった佐々木さんは7番左翼で出場。初戦は城東(徳島)に逆転勝ちし、これで弾みがついた。
松本市立と対戦した2回戦、続く3回戦の高松一も10回延長の末、小差で勝利。3戦続けての逆転劇だった。「1勝できたら良いと思っていたから肩の力が抜けたのかもしれない」と振り返る。
迎えた決勝戦、相手の岐阜が真剣な面持ちで通り過ぎる中、選手らは記念撮影に興じていたという。「ここまで来ればもう良いか」。そんな心の余裕が逆に明暗を分けたのかもしれない。
3回を終えて0対3と先制されるも6回に同点に追い付き、8回、決勝点を奪って5対3で勝利。全国1365校の頂点に立った。
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凱旋した藤沢駅前には数えきれない人が詰め掛け、偉業を称える声援が飛び交った。「皆が自分を認めてくれたのが本当にうれしかった」。夏の経験は、佐々木さんにとってもその後の人生を左右する分岐点になった。在校生に向けてはこうエールを送る。
「行動を起こせば何かが変わる。まずは一歩踏み出して」
![]() 全国高校野球選手権の優勝旗(レプリカ)。盾、メダルと同校歴史館に展示されている
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