「片瀬にある馬喰橋の脇で遺跡の発掘調査らしきものが行われている」との情報を受けた。橋のそばにある市の伝承由来看板をつてに、遺跡の正体を追う中でふと感じたのは「馬喰橋って、すごい名前だな」。取材して分かったのは、小さな橋が見つめてきた片瀬の歴史だった。
馬喰橋は、新屋敷橋近く、境川(片瀬川)沿いの市道にあり、10mほど下に境川の支流となるせせらぎが流れる。長さは約7〜8m、車で通る時などは橋とは気付きにくい小さな橋だ。
調査資料によると、遺跡は7世紀後半から9世紀代の集落跡。かつて使用されていたとみられる陶器などが出土した。同エリアは、弥生から奈良時代にかけての集落跡が見つかる「文化財包蔵地」。住宅開発などの際は埋蔵文化財の調査が必要という。
一方で気になった橋のネーミング。遺跡との関連性はなかったが由来を聞くと、「地域の歴史と名前についてならこの人が一番」と同課に紹介されたのは、片瀬在住の藤沢地名の会の吉澤忠雄会長(82)。「片瀬は丹沢からの縦の道と海をつなぐ相模国の水運の要所で、奈良より前から伝わる市内でも特に古い地名。一方、片瀬港の資料は少なく、馬喰橋はかつての水運の賑わいを伝える貴重な場所」と説明する。
境川は明治期に大規模治水が行われるまで、度々大規模な氾濫を起こした記録が残る。「当時片瀬には泉蔵寺前と常立寺前、馬喰橋の3つの橋しか無く、木、石と何度も架け替え、地域にも大切な場所だった」と吉澤さん。
橋に関する最も古い記録は、江戸期の資料『新編相模国風土記稿』で、源頼朝がここを通る際に、馬の鞍を橋替わりに架けたことから「馬鞍橋」の名がついたという。当時から江の島や龍口寺の参詣者が多く通った場所だった。
「喰」の由来は、橋を通ろうとした馬が相次いで突然死したという伝承。「馬殺橋」という物騒な別名もあり、伝説では行者聖(修行僧)が調べたところ、文字の書かれた石が見つかり、取り換えてから災難は無くなったという。同課は「地形的には変哲のない道。当時は馬が街道で亡くなること自体はよくあることで、往来の多い分、件数も多く、伝承となったのでは」と推測する。
吉澤さんは「何の変哲もない場所が、地域の歴史の要だったりする。守り伝えていきたい」と力を込めた。
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