昨年末、9番目の市指定史跡に登録された「大庭城跡」=大庭。藤沢市内に現存する城跡としては唯一だが、かつてどのような城があったのかはあまり知られていない。かくいう記者も学生時代に花見に出かけた程度で、恥ずかしながら詳しいことはほとんど知らなかった。聞けば、実は関東でも希少な遺構という。歴史の謎をひもときに、足を運んでみた。
天然の要害、中世の歴史伝え
湘南ライフタウンのほど近くある「大庭城址公園」。城跡を活用し、市が1985年に開園した。
坂道を登ると苔むした石垣が目に入る。上にはさぞ立派な城がそびえていたのだろうと思いを巡らすと、早速ご指摘をいただいた。
「たぶん想像しているような城ではなかったと思いますよ。いわゆる天守があるのは関東では江戸時代から登場する『石の城』。戦国時代は土塁と堀で構成された『土の城』なんです」
そう話すのは市郷土歴史課学芸員の宇都洋平さん(42)。さらにこう続けた。「石垣も公園が開園するときに整備されたもの。大庭城とは関係ないんです」。え、そうなの?
築城は約500年前
大庭城は、平安時代後期に活躍した大庭三郎景親の居城だったとされるが、詳しいことは分かっていない。今から約500年前の室町時代中期に扇谷上杉氏が城郭として築城したと考えられる。戦国時代の1512年に伊勢宗瑞(北条早雲)に攻め落とされて落城し、その後、廃城になったとされる。
大庭城は、舌状台地に位置し、東は引地川、西は小糸川が流れる天然の要害だ。また藤沢周辺では地上から1mも掘れば非常に滑りやすい「関東ローム層」が露出する。これを掘り下げ、残土を積み固めて土塁(土の壁)とすることで敵の侵入を防いだ。
「調査で試してみたが、とてもではないが甲冑では登れない」と宇都さん。「安く・早く作れる」割りに有効な防御機能を備えていることから、戦国時代にはこうした土の城が多く築城され、中でも大庭城は関東でも有数の規模という。
将来的に国指定も?
土の城が現代まで遺構として残るのは稀だ。利用勝手の良い拠点は攻め落とした武将が転用することも多い。また雨風にさらされ保存が難しい上、後世には開発が待ち受けるからだ。
背景について宇都さんは「大庭城を落とした伊勢は勢力を東に伸ばし、玉縄城(鎌倉市)を築いたため、大庭城は打ち捨てられた格好になった」と解説する。「もう一つは高度経済成長下の開発で、当時の人が城跡の歴史的価値を見直し、保存しようとした。その努力が今につながっている」
市は1967(昭和42)年から25回にわたって発掘調査を実施。昭和40年代の調査では、園内の南部広場に4棟の掘立柱建物跡や土塁が出土した。今後の発掘調査ではさらに貴重な資料が見つかる可能性もある。
宇都さんは「石垣や天守がなくとも、この姿こそが大事。神奈川の中世を考える上でも重要な場所で、個人的には国の指定史跡になる価値も十分にあると思う」話した。
◇
藤澤浮世絵館(辻堂神台)で開催中の企画展「浮世絵で描く鎌倉幕府の物語」で大庭城跡の発掘資料やパネルを展示。市指定史跡を記念したオリジナルの「御城印」(300円)も販売している。問い合わせは同館【電話】0466・33・0111へ。
|
|
<PR>
藤沢版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
鎌倉市交通安全対策協議会初詣に合わせて鎌倉駅周辺の交通規制を行います。鎌倉への初詣は電車・バスをご利用ください。 https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/koutsuu_anzen/nennmatsu.html |
<PR>