藤沢市民会館で来月から上演が予定されている第24回藤沢市民オペラ「ナブッコ」。プロの音楽家と市民が数年かけてともに作り上げる市民オペラは、実は日本の中でも草分け的な存在として知られる。半世紀近く続く音楽の祭典がどのように形作られ、今につながるのか。原点を辿った。
1973年10月。市民会館大ホールは大観衆の歓声と拍手に包まれた。初回の演目はモーツァルトの作品でも人気が高い「フィガロの結婚」。喝采の余韻が残る舞台で、出演した市民らの感動もひとしおだった。
「まさか藤沢で上演できるなんて。本格的な舞台装置の華やかさにも驚かされた」。当時大学院生で、市民交響楽団の一員としてバイオリンを演奏した片岡哲さん(72)=善行=は振り返る。前例のない公演作りに無我夢中だった。
開館5周年の記念公演として産声を上げた市民オペラは、当時の市長・葉山峻氏の肝入りでスタートした。葉山氏は書籍「カーテンコールをもう一度〜藤沢市民オペラ物語」(宮原昭夫著)にこう寄せている。「都市は市民、市民こそが都市の文化を創造する」。まさにその思いを具現化したものだった。
オペラ指揮者として第一線で活躍した福永陽一郎氏(元藤原歌劇団)指導のもと、日本を代表するプロ音楽家、市民、行政が協力して制作、上演する当時としては前代未聞の企画。高校2年生だった塚本雅一さん(65)=辻堂太平台=も胸を高鳴らせた。「オケを演奏できるのは夢のようで、バイオリンを担いで毎週末の練習を心待ちにしていた」
今でこそプロとアマチュアオケの共演は珍しくはないが、当時は異例中の異例。一流のバリトン歌手・立川清登氏らが、年季の入った木造の鵠沼公民館で市民オケとリハーサルを重ねる姿は異色の光景だったという。
現在まで45年間、23作品を上演してきた市民オペラがこの時、歩みを始めた。「この文化の火を絶やさずに後世に伝えたい」(塚本さん)、「オペラを知らない人にこそ届けていきたい」(片岡さん)。創造してきた市民たちの思いを乗せて。
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