神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
藤沢版 公開:2023年8月11日 エリアトップへ

由来は3羽のツル?「羽鳥」

社会

公開:2023年8月11日

  • X
  • LINE
  • hatena
三觜八郎右衛門邸宅跡(写真上)、高山羽鳥線道路沿い
三觜八郎右衛門邸宅跡(写真上)、高山羽鳥線道路沿い

 市西南部に位置する「羽鳥(はとり)」は、古くは「服部」と書いた。藤沢地名の会によると、服部は、飛鳥時代に織物を作る「はとりべ」と称する一族とされる。

 「服部たちは、川の水を使って機織りをするために住んでいた」と明治郷土史料室運営委員長の磯崎三郎さんは説明する。なぜ羽鳥と書かれるようになったかは、「3羽のツルが関係している」という。

 明治時代初期の史料「皇国地誌」によると、1615年に三觜(みつはし)八郎右衛門が、3羽のツルが遊んでいるのを見かけたことからこの地に住み、羽鳥と名付けたという。

 三觜家は江戸時代から1871年まで羽鳥村の名主を務めた。翌72年には第13代当主・佐次郎が、元内閣総理大臣の吉田茂などを輩出する「耕余塾」の元となる学校を設立する。三觜家は長きにわたり羽鳥の発展に貢献した。


 一方で、三觜家の羽鳥居住については南北朝時代を初めとする説もある。磯崎さんは「それでもツルが由来であることは間違いないと思う」と話す。羽鳥には「鶴蒔田(つるまいだ)」と呼ばれる地があることや、江戸時代には農民が藤沢宿の代官にツルの保護を求めたという記録もあるためだ。

 北海道大学・久井貴世准教授によると、神奈川県でのツルの生息は幕末の1866年まで確認できる。久井准教授は「田んぼの虫や刈り残しなどを食べながら冬を越すには、雪があまり積もらない南関東が適している」と説明し、「開発が進み、ツルが南下できなくなるまでは来ていたのでは」と予想する。

 「昔はシラサギやマガモがたくさんいた」と語るのは、羽鳥本村町内会長の三觜清次さん(93)だ。三觜さんは戦時中、シラサギの群れで農地が一面真っ白になるのを見たという。多様な動物が生息していた土地の記憶は、今でも住民たちの間で引き継がれている。

湘南巻き爪矯正院 藤沢院

無料相談会実施中!神奈川16店舗展開 施術実績41万回超 切らない・痛くない「負担の少ない施術」

https://shonanmakitume.com/fujisawa/

<PR>

藤沢版のローカルニュース最新6

藤沢北部でピクニック

藤沢北部でピクニック

46億年の歴史体験

4月22日

紙芝居を楽しもう

紙芝居を楽しもう

5月5日、長後市民センター

4月20日

小学校選びの一助に

小学校選びの一助に

私立体験イベント4月27日に

4月19日

錣山親方市内で激励

藤沢場所先発親方

錣山親方市内で激励

4月19日

診断士会セミナー開催

25年度 持続化補助金

診断士会セミナー開催

4月18日

藤沢の美味辻堂に集結

藤沢の美味辻堂に集結

あすからフェス

4月18日

㈱平和堂典礼

藤沢市辻堂神台2-2-41 0120-59-6999

https://heiwadou.com/sp/

<PR>

あっとほーむデスク

藤沢版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2025年4月22日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

X

Facebook