終戦2年後の1947(昭和22)年、日本丸で帰国した父は戦時中、自らの安否や出征先の日常を絵手紙にしたため、家族に送り続けた。日中戦争と太平洋戦争で終結の見えない戦の日々は、戦後78年が経っても今を生きる人々に戦争の悲惨さや平和の意義を問いかける。「二度と戦争をしてはいけない」。娘の田中素子さん(82)は言葉をかみ締める。
「もだし立つ/不動の姿勢や/友悼む」
「死にもせで/戦居の残夢/秋の朝」
田中さんの父、慎太郎さんは日中戦争や太平洋戦争で従軍。家族に宛てた絵手紙には句が添えられ、当時の心情がつづられている。「元気、元気」と自らの息災を伝える内容が目立つが、日中戦争で戦地を転戦したことなどがうかがえるなど、戦の気配がにじむ。
「当時は検閲があって本心が書けない。絵や句で表そうとしたのではないか」。戦時中の生まれで当時幼かった田中さんは手紙から読み取れる父の心境をそう推測する。戦地に赴けば生きて帰れる保証はない。「だから生きた証を残したいという思いもあったと思う」
慎太郎さんは終戦後ビルマの収容所で暮らし、47年5月に復員。銀行員に復職した。身体に残った傷跡も戦地でのこともほとんど語らなかったというが、晩年、病床でつぶやいたことが今も忘れられない。
「戦争は人間が人間でなくなる地獄だ。絶対に戦争は起こしてはいけないんだ」
慎太郎さんは33年前、80歳で他界。遺品を整理した際、絵手紙などが見つかり、平和の大切さを伝えるために役立ててもらおうと数年前、平和祈念展示資料館(東京都新宿区)に衣類や文具などと合わせて寄贈した。
田中さんは長年絵手紙講師を務め、市が主催する平和展では毎年、生徒や自身の作品を出品してきた。戦後78年、今も隣国に目を向ければ戦火が絶えず、胸が痛む。「人が人を殺し、人のものを奪う。理不尽の極みが戦争だと思う」。若い世代に向けて伝えたいことを問われるとこう返した。
「自分や家族にしてほしくないことは人にしてはいけない。二度と戦争なんて味わってほしくない」
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