「駄菓子屋」という概念を書き換えた。お菓子やおもちゃをリヤカーいっぱいに詰め、人が集う場所に自ら繰り出す。綿菓子にポップコーン、射的にヨーヨーすくい、屋台にやぐらの組み立てもお手の物。必要なもの一式でその場を「祭り」に染め上げる。今や湘南エリアを中心に全国のイベントでお呼びがかかる名物男。その名も、「駄菓子屋ROCK」だ。
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はっとした。自分で設定した期限が半年先に迫っていたからだ。
「35歳になったら俺は駄菓子屋をやる」。それが口癖だった。
茅ヶ崎市出身。学校帰りに小銭を握りしめ、何を買おうか心を弾ませる。そんな子どもが集う駄菓子屋の雰囲気が幼少の頃から好きだった。
高校を卒業後、飲食や建設業などアルバイトに明け暮れた。分岐点は友人との酒席でいつもの口癖を声に出して。
「あれだけ言ってたのに、夢に向けて何もできていない」。正直、焦った。開業しようにも資金だってない。ならばと辿り着いたのが移動式リヤカー。近所や知人の店の軒先を借りて出店し、夢の第一歩を踏み出した。
発想の転換
ただ、安価な駄菓子を打っても売り上げは日に数千円程度。生活の糧にはならず、調べてみれば日本全国で駄菓子屋は激減していた。
「でも駄菓子屋そのものは今の時代にもマッチする」。お菓子やおもちゃを前に目を輝かせる子どもたち。その様子に目を細める大人たち。世代を超えて喜ぶ姿にニーズを確信していた。
そこで発想を切り替えた。「駄菓子屋をイベント集客のための出し物に位置づければいい」。「出店者」である限り出店料を支払う必要があるが、「出演者」として依頼があるのなら出演料が支払われるのが道理だ。
この発想が革新的だった。獅子舞や餅つき、イベントを盛り上げるためのコンテンツを増やし、SNSで実績を発信するとじわじわと出演依頼が舞い込むようになった。
昨春の大型連休には横浜・みなとみらいに出店。9日間の出演料と売り上げは会社員の年収にも匹敵する額になった。
舞台は世界へ
好きなことだけをやり続ける―。その信念で歩む人生の軌跡は多彩だ。彫師、バンドマン、ラジオパーソナリティー。愛娘が生まれたのを機に3年前からは農業も始め、藤沢と茅ヶ崎で米や野菜を育てている。
異彩を放つ存在感はメディアでも度々取り上げられ、先頃は東京大学の学生を相手に夢をテーマにした講演にも立った。
若者に伝えたいのは、固定観念にとらわれない夢の叶え方だ。「自分もまだ夢の途上」と前置いた上でこう力を込める。
「周りからは色々言われるかもしれない。でも、今やりたいことを貫き通した方がいい。夢はその先にあるから」
今年、新たな挑戦が幕開けようとしている。4月、米国ボストンで2日間で10万人が訪れる巨大イベントへの出演が決定。8月にはカナダにも足を伸ばし、活躍の舞台を世界に広げようとしている。成功の青写真はすでにある。
「祭りは日本の文化。これを世界に発信していきたい」
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